この、言葉にならない感覚と。
写真を撮っていると、
絵を描いていると、
鼻歌を歌っている時と、
ただ、日々生きている時であっても
言葉に悩むあまり、
言葉にならない時が私にはたくさんある。
私の場合、言葉は『正解』に近い。
"誰かの言葉はその人の正解、私の言葉は誰かにとっての正解"
これは私の家庭環境の結果だ。
家族にとって欲しい『正解』に近い言葉を返そうとしたおかげで
私は私が欲する『正解に近い言葉』が分からなくなった。
だからだろう、
私は言葉よりも素直で偽りの少ない
写真や絵や歌、自然や動物、五感で楽しめるものが好きになった。
まだ私自身や家族との接し方は不器用なままだ。
けれども私は、
撮る写真、描くもの、創るもの、
言葉のいらない"もの"のことは好きだし、正解だと思えてる。今はまだそれだけあれば幸せなことだ。
今ある幸せを幸せなまま。そのうち自分自身のことも
あわよくば好きが伝播すれば良いと今は思ってる。
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