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私たちが「学校の未来」を考える意味

こんにちは
夢の木Lab.若林かおりです。

もう、8月も今日で終わりという今日。

先日、娘の個人面談がありました。

先日って、もう、いつの話だよ…
という感じですが…ww


個人面談と言えば、私は、5分程度で終わってしまうタイプ。


↑↑こんな記事も書いてました

しかし、今回は、私、時間いっぱいよく話しました!

が、娘の話ではない。
学校教育についてww

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娘が通う中学校は、教育委員会の管轄にありません。
ゆえに、コロナ休校の時は、いち早くZoomを使った双方向のオンライン授業が取り入れられたり、
普段の授業も「主体的・対話的」で「探求型」です。

私にとっては興味深々の教育です。

その学校の先取りをしているこの先生たちが、
このコロナと動きの鈍い学校についてどう見ているのか?
を知りたかったのです。

※繰り返し伝えますが、動きの鈍い学校=先生を責めているわけではない

先生がおっしゃっていた教育委員会管轄下の学校との違いの一つ目は、

「私たちは自由だから」

これは、その中学校が教育委員会に縛られず自由に動きやすいということをおっしゃっています。

実は学校の先生たちって、かなり管理されているんです。

主体性を発揮しようにも、発揮できない。

自由でないから、議論ができない

そしてさらにおっしゃっていたのが、

「私たちは対話をよくしている」

先生同士で、どうしたらいいかという話を頻繁にしているそうなんですね。
それはやはり、「決めることができるから」でしょう。

今の管理状態の中では、
考え、話し合ったとしても、上の指示が決定としてくだるのでしょう。
そしてそれに従わざるを得ない。

そりゃ、話し合う気力もなくなるし、考えることすら辞めたくなりますね。


子どもに主体性を育みたいのならば先生に自由を与えること

日本の学校の先生は自由がない
とある教育系セミナーで、専門家はおっしゃっていました(海外在住の方)

その時は、「ふーん」くらいでしたが、
今は、激しく同意。

仕事に裁量がなく、与えられたことをただただやるのって、辛い。
(そういうのが得意な人もいて、それは良いのだけど)

「学校」というところで、
人間を育てる立場であるならば、その先生のその人らしさを発揮できる自由。
情熱を発揮する場は、あったほうがいい。


子どもを自由に羽ばたかせたいのなら


よく、子どもを幸せにしたいのなら、お母さんが幸せになること
なんて言いますよね。

これ、先生にも同じことが言えます。

子どもの才能を自由に伸ばしたいのなら
先生も、自由に才能を羽ばたかせさせてあげて!

と、いうより世の中の大人がみんな自由になれるといいね、いろんなものから。

とはいえ、それはそう簡単には叶わない。
けれど、

誰かが言い続ければ、響き合い、その声はだんだんと大きくなる。

娘の担任の先生がおっしゃいました。

「保護者から、声が上がるのはいいことだ。」

と。

学校の先生にもいろいろいる。

改革したい情熱を持った教師たちもいる。
しかしながら、そういう先生たちもなかなか動けない学校に諦めモードであったり、どこか糸口はないかと模索していたり、とにかく苦しんでいる。

保護者から、声が上がることで、
そそういう先生の背中を押すことができる、と。

だから、結論。
私たち保護者が真剣に学校の未来を考えることが、そして、理解し対話することが、
先生という職をやりがいのあり、従事する先生たちを幸せにすることができ、
さらには、その元で育つ子どもたちが、未来に希望を持ち、自分の内側に幸せになる力を育てていく

先生を責めたり、批判する声ではなく、ね。

なにが悪いか?ではなく、

一緒に未来を描き協力し合えたらいいな。


私たち保護者も先生も、子どもたちの幸せを心から願う存在。
(そうでなきゃ、あんな大変な職つかないでしょ、たぶん)


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