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悩む割に前へ進まない悪循環に陥ったら「あるべき論」を手放す

「社長たる者、会社の資金繰りをしっかりと把握するべきである」

会社は資金繰りが回らないと倒産するので、これは一般的には経営の常識として考えられています。私も日頃からキャッシュフロー経営の大切さを主張しているので、メルマガやブログでも先のようなあるべき論はよく書いています。

しかし、弊社にご相談に来られるクライアントさんのお話をよくよくお伺いすると、「会社の資金繰りを把握するべきだから申込みました」というよりは、「会社の資金繰りを把握したいので申込みました」というケースがほとんどです。

もちろん、「把握したい」理由は様々。

「昔資金繰りで痛い目にあったので、二度とあんな思いをしたくない」というリスク回避型のケースもあれば、「将来海外に進出したいので、今のうちに会社の基盤を固めたい」という未来志向型の場合もあります。

いずれにせよ、「把握するべき」だからではなく、「把握したい」と欲求に基づいて行動を起こされています。

「~するべきだ」「~しなければならない」という言葉の後に続くのは、たいてい「なぜなら」。

先の資金繰りの例で言えば、社長が資金繰りを把握するべき理由は100個でも、200個でも上げられます。そして、財務に詳しい人であれば、その理由を論理的かつ体系的に説明することができます。

しかし、論理や体系は決断の下支えになっても、行動の推進力にはなりません。そして、日頃から「いま一つ行動が足りない」と自覚している人の場合、この「あるべき論」の罠に陥っていることがあります。

数字を取り扱うのが好きな人なら、「社長たる者、会社の資金繰りをしっかりと把握するべきである」というあるべき論を聞いても、「まあ、そりぁそうでしょう」と、特段違和感なく受け入れることができます。

一方で、日頃「資金繰り表なんて面倒くさくて作りたくない」と感じている社長の場合、「把握するべき」と聞いても「まあ、そりゃそうなんだけれど・・・」と、頭では分かっていても、実際に資金繰り表を作成するという行動にはなかなか結びきません。

そして、まじめな人ほど、あるべき論に囚われて、「どうしよう」「こうしたら」「でも・・・」というように頭の中で悪循環に陥り、すごく悩んでいる割には第三者から見ると何も進んでないという状況になっています。

もし、こういう状態に陥ってしまったら、いったん「あるべき論」を手放すことが解決の突破口になります。

例えば、社長は会社の資金繰りを把握するべき論を手放して、自分の感情として「面倒な資金繰り表なんか作りたくない」のが本心であれば、解決策として「財務に強い社員を雇う」という選択肢もありますし、「圧倒的に利益率の高い高額商品を売りまくることで資金繰りを安定させる」という方法だってあります。

あるべき論で考えていると、思考は堂々巡りになりがちですが、「~したい」「~でありたい」をベースにすると、選択肢はいろいろと出てきます。

「~であるべき」というあるべき論は一般の人には当てはまっても、皆さんには当てはまらない考えかもしれません。また、「~であるべき」という考え方はたいてい過去の知識や経験の延長線上にあります。このため、もしかすると、今の時代に生きている皆さんには合っていない考え方かもしれません。

単に食わず嫌いで「やりたくない」という場合は、最初は嫌でもやってみる価値はあります。

でも、自分が心の底から嫌と感じて、一方で「本当はこうしたい」というのがハッキリしているのであれば、「あるべき論」からいったん離れて考えてみましょう。

「こうしたい」が本気であれば、「やるべきこと」は自ずと湧いてきます。

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