「私だからこそ」の発見

私のできることなどたかが知れていて、私ができることは誰にだってできるし、もっと言えば「私こんなことしてます!」っていったところで「そんなこと誰でもやっているよ」と言われそう。

そのくらいふつう。

それでも、「私だからこそ」をたまに発見する。

今日、とあるプロジェクトを抱えている先生とお話をしていた。
なんやかんやお話をして、
「あぁ、なんかクリアになった! なんだろう。これまでこの件、誰と話していても混乱するだけだったのに!!」

ちなみに私は、アドバイスもしていないし意見も言っていない。

心がけていたことと言えば、先生の思考を邪魔しないことだ。

たいていの人は、すでに答えを持っている。
なにより、その人が抱えている問題について、一番よく考え詳しいのはその人本人だ。
だから、私のアドバイスなどほとんど役に立たないどころか情報過多で邪魔になる。
(例の先生がほかの人と話していて混乱したのはそのせいだ)

それでも、私がアドバイスできることもあるだろうと、……まずは、この方の本当に欲しいものって何だろう?何がわかっていて何がわかっていないんだろう?
って、ヒアリングしているうちにご自身で頭の中をまとめて「ありがとう」って去っていくw

だから私は何もしていないんだけど、その何もしないのが貢献できているんだと思う。

こんなこと言うのも…だけど、教えたがりが多い中、「何もしない」ができるのことは「私だからこそ」と思う。

自分のことだから、なんか誰にでも出来んじゃない?
って思うけど、誰かがこれをやっていたら、これってかなりのトレーニングを積んできたヒト!って思う。

でも、自分のことだから……私の力なんて…って思ってしまうのだ。
私にできないことも多いから。

私、すごい
あなたもすごい
でいいんだけどね。


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