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手紙の中の追憶

私の『赤毛のアン』好きは周知の事実。大学生の時にモンゴメリの文学クラブ『バターカップス』に入会して以来、同類との交流が私の人生をどんなに豊かにしてくれたか、それは言葉では言い表すことができません。

入会当時、札幌に住んでいた私は毎月届く通信物を楽しみにしていました。今と違ってネットの無い時代ですから、通信が唯一の情報網だったわけです。けれど、通信を読めば読むほど、私は物足りなさを感じるようになりました。もっと大好きなアンやモンゴメリの小説について誰かと語り合いたいとその思いは日増しに大きくなっていき、ある時、文通相手募集の手紙を書き送り、通信に載せてもらったのでした。

記事を読んだ数人の方からおたよりをいただき、それぞれにステキな交流が始まりました。その中に一人、中学2年生の男の子がいました。その子は情緒豊かな素晴らしい手紙の書き手だったので私は毎回手紙が届くのを楽しみにしていました。文通は4年ほど続いていましたが、彼は大学生になり、私は社会人となってお互いに忙しくなり次第に手紙の数も減ってフェイドアウトしていきました。

今年の8月も終わりの頃、その彼からこのnoteを通じてメールがあったのです。30年以上ぶりのことで本当にびっくりしました。なんでも最近実家から取り寄せた私物の中に中学生時代の日記が入っていて、そこにわたしの最後の手紙が挟まっていたのだとか。それを読んで懐かしさを感じ、ネットで検索して私を探し当てたのだそうです。こういう時、本当に便利な世の中になったものだと思います。

もし、彼が手にしたものが手紙じゃなかったら? 例えばメールだったらどうでしょう? 手紙ほど追憶をかき立てられることは無かったのではないでしょうか。紙の手触り、匂い、手書き文字の懐かしさ、読むごとに思い起こされる景色や想い、そういうものは直筆の手紙に宿るものです。懐かしんで、また連絡を取ろうと行動するに至るほどのそれは、30数年前に直筆でやりとりしていたからこそに違いないと思うのです。

もちろん、再び交流するためにはネットの力が必要でした。どちらかだけではダメでどちらも必要だったと思います。廃れる一方と思われていることなどお構いなしに手紙は常に心地よい塩梅で誰かのそばに寄り添い、その偉大な力を慎ましく発揮していることを実感する出来事でした。

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