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瞑想ジャンキー

某、瀧さんの話にザワザワしてる
ある出来事に何を映すか
それも個性なんだろうな、、、

私、個人で感じるのは
エッジだからカッコいいと思っていたら
超えちゃってるのを、ギリギリセーフにしてたって
それが分かっちゃった
何というか哀れみというか、
飄々と生きる姿に憧れもあったわけで、、

私は時々、あらゆることがうるさい!って思う
やらなきゃいけないこと
聞こえちゃうこと
感じちゃうこと
ムダに広がる考え
マインドのおしゃべり

あーうるさい!って

で、私は瞑想をする

瞑想には特有の多幸感や万能感があったりする
脳内麻薬って言う人もいる
ミュージシャンにも多い
だから瞑想しろ!と言いたい訳ではない

ドラッグで
マインドからドロップアウトするか
瞑想して
ドロップインするか

マインドからドロップすることには変わりない

生きるって、割とめんどくさい
思い通りにならないし、人間関係は煩わしい
容赦なく年取るし、疲れるし
時に、一直線に流れる時間軸の制限を
受け入れなくてはならない

このどうにもならない
重苦しい吹き溜まりみたいな部分を
きれいさっぱりなかったことにしたいって思う
それができる魔法の薬があったら欲しいって思う

だけど、やっぱ
これはいらないけど、それは欲しいって
強欲なんだよね

そして私も、その強欲さを確かに持ってる

薬物依存の何が悪いのかって
立場によっていろいろな意見があるだろうけど
まずドラッグが非人道的に製造流通してる点で
認められるべきでないと捉えてる

人道的なこと外して、お酒や薬、瞑想と何が違うんだろう
(あ、ちょっと乱暴な言い方だな、、、)
もちろん全然違うけど

自分を超越した意識が
まだ見ぬ理想の世界を見せてくれるという
外の何かへの切望、その部分において

より良いパフォーマンスをしたい
より良い創造をしたい
より良い人生にしたい
それをどこに求めるか

私はそれを瞑想という”行為”に求めていないかって
自戒の念をこめて、今思う

瞑想が悪い、瞑想に意味がない、ということでは全然ない
意識の枠を超越し”自分自身につながる”というベースがある
それは素晴らしい方法だし
もちろんこれからも続ける

ただ、スキル自体に理想的な自己へ連れて行ってくれる船として
依存があるのではないかということ

私の中に確かに依存的な部分がある
それを今ここに認めているか
自分の中のジャンキーを

完全に悪いもの、良いものは存在しないと思う
全てのことに正しさと危うさが含まれる

何を意図し、何を選び、何を使うか、委ねられている

今どこにいるか
自分の正しさと危うさを
いつもただ感じている

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