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悩みの解消における「無意識の意識化」と「意識の無意識化」という視点

皆さんは森田 正馬という人を知っていますか?森田 正馬(もりた まさたけ1874年 - 1938)は、精神科神経科医で日本発の精神療法である「森田療法」を創始した人物です。

自らも学生時代に神経症で悩んだ経験があり、その経験からフロイトの精神分析学が神経症治癒の真髄としたところの「無意識を意識化」というアプローチに対して批判的であり、それとは真逆の「意識の無意識化」とも言える治癒の哲学を持って患者に当たってきた実践の人です。

人の悩みの解消における「無意識の意識化」「意識の無意識化」という視点とは何か、まずはフロイトの精神分析学の真髄である「無意識の意識化」から説明しましょう。

フロイトは、人間の心のなかには当人も気づいていない無意識の領域が存在していて、これが悩み発症の素地になるとみなしました。そしてこの無意識を、対象者の過去のトラウマ的記憶が、この記憶が意識下にあげたくない不快な記憶であるがゆえに無意識の領域へと抑圧されたものだ、という見方をします。

フロイトの精神分析学においては、深刻な悩みが形成されるためには、このように抑圧された無意識領域が存在しなければならないと考えられており、この無意識が意識化されれば、その悩みは消失するという論理がありました。

これに対し森田は真逆のアプローチをとったというのが森田療法のユニークな点です。どういうことか。

他人の視線がとても気になるという悩みを抱えた人がいる時、森田的視点からは他人の視線が気になるという気分から完全に自由になることはないと考えます。森田はむしろ、これらの症状それ自体は存在していてもいいのだ、悩みは存在していてもそれのみにとらわれることなく、生きる欲求にのっとって人間としてなすべきことをなしていくという態度が形成されること自体が他人の視線にこだわる態度の緩和につながると考えます。

人間としての生活をまっとうする上で起こるすべての感情にとらわれて(味わって)、ある一点の感情への執着から離脱すること。悩みの元となっている感情の脱中心化こそが、悩みを解消すると考えます。

森田は大学生時代に父親との精神的葛藤に悩み、自死を決意したことがありました。その際、ただ死ぬだけではつまらぬと、父親への面当てに「勉強し過ぎて死ぬ」という手法を選びます。そして三日三晩だったでしょうか、寝食をせずにただ勉強に没頭して、これだけ勉強すればさすがに死ぬだろうと思った刹那に、勉強内容がすっと頭の中に入ってきて、勉強が面白くなってしまった。そうすると、父親との葛藤はどこえやら、生きる希望が湧いてきたと述べています。

彼はこの経験から、ネガティブな感情の吟味に囚われていては人間は前向きな人生など歩めないという考えに至ります。

そもそも人間が生の欲望(それは裏返せば死の恐怖でもあります)を忘却できない以上、不快、不安、恐怖は人生には常在せざるを得ない。この事実を認め、そのうえで時に苦悩を発生させる起源としての生の欲望に素直に身をゆだねて人生を送るという態度に目覚めることこそが大事だと主張しました。これこそが森田療法の核心だったのです。

つまり、意識の無意識化(あるいは脱中心化)が森田のテーマだったと言えるのだと思われます。

心の世界に関心を持つ方、とりわけ自分の心の中に巣くう葛藤を解消する鍵を探し求める方は、フロイト、ユング、バーン、フランクル、マズローなどトランスパーソナル心理学などを紐解いて必死に心の構造を吟味し、解明していこうとする方が多いと思います。

これはこれで価値はあると思うのですが、これらの理論は難解だったりもするし、実感としてピンと来ないところもあってさらに五里霧中になることもしばしばです。

そんな時、森田の「あるがまま」を受け入れて自然な生き方を指向する考え方は、シンプルであり、心にストンと落ちるような納得感を与えてくれます。

エゴグラム診断を受けていただいた方は、診断書を通じて自己認知を高めていただきましたが、現在の自己像が「ダメだ」とか「変えたい」とかいう自己操作的な観念にとらわれて、むしろ悩みを深めてしまわないかと少し気にしています。

上記のような観念に囚われそうになっていると感じたら、森田療法を勉強してみると良いかもしれません。本を読むだけでも随分助けになります。



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