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【創造性の開花を目指して④】強欲自由主義から深層自由主義へ移行する方法

「創造性の開花を目指して」という表題で思いついたことを連続で記事にしていきたい。今回は第4回目の記事だ。第1回目の記事から続けて読んでいただくことを想定しているの。第3回目の記事はこちら。

さて、第1回の記事で、流動的視点が可能とする豊かな創造性について紹介した。そして、これは誰の中にもある普遍的な人間の才能であると述べた。

しかし我々は、我々が日常使っているサバイバル脳(勝たなくてはならない、優秀さを示さなければならないという常なる強迫観念)によってその才能の開花を妨げているという現状認識を第2回の記事で示した。

そして第3回の記事では、サバイバル脳の囚われ方脱出し、我々が生まれ持って備えている創造性を開花させるための指針を述べた。それは、我々が自由意志と誤認しているところの煩悩プロセス(=サバイバル脳を活性化する心の過程)の自由ではなくて、我々の煩悩プロセスのその奥にある生物としての性質、すなわち、ホメオスタシスの規則、アリストテレスの言うダイモン(善性を持つ超越的存在)(これをほんとうの自分と名付けた)の自由を目指そうという考え方である。

サバイバル脳を強化し続ける煩悩プロセスとしての自分にではなく、ほんとうの自分に自由を与えようという提案だ。私はこれが人間の創造性の開花させる最も重要な方法だと思う。これを私は強欲自由主義(Greedy liberalism)と区別する形で深層自由主義(Deep Liberalism)と呼ぶことにした。

今回の記事では個人・社会それぞれの単位で強欲自由主義(Greedy liberalism)から深層自由主義(Deep Liberalism)へ移行していく方法について述べて行きたい。

それを語る上で、強欲自由主義と深層自由主義の再生産システムをまとめてみたい。第1回目の記事でマルクスを引用しつつ述べたが、基本的に社会システムは当該システムを強化する再生産システムが埋め込まれているから盤石になるのだ。だからシステムの改変を考えるなら、その再生産システムを押さえておく必要がある。

強欲自由主義の再生産システム

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スタート地点は資本主義社会の端緒となった分業化だ。第2回の記事でも述べたが、分業化が進むと労働者は販売という交換行為に個人としては参画できなくなるため、資本家が有する生産手段に依存せざるを得なくなってしまった。そうなると、資本家の元で生活の糧を得るために、労働者に「勝たなくてはならない、優秀さを示さなければならないという常なる強迫観念」を持たざるをえなくなる。

資本家は資本家で、販売という問題を巡って、資本家間の熾烈な競争を余儀なくされるようになった。生産物の販売を巡る市場は、景気変動も相まって資本家間の優勝劣敗を決していく。経営に行き詰った資本家は、持っている生産手段をより有力な資本家に譲り渡し、自分は廃業に追い込まれるという流れが生まれた。これが、資本家側にも「勝たなくてはならない、優秀さを示さなければならないという常なる強迫観念」を芽生えさせる契機になった。私はこれをサバイバル脳と呼んでいる。

概して、資本主義社会ではサバイバル脳が活性化している個人・組織ほど抜け目なく完璧に立ち回り、経済的成功を達成していく。それを知っている資本家、経営者は競争を煽る行動規範(例:楽天グループの経営理念)を示し、その行動規範に従わなければ解雇や降格などの危険が迫ってくることを個人に伝えて行く。そうすると個人のサバイバル脳はさらに活性化される。

そしていつしか、個々人は自分の瑞々しい好奇心や探求心を忘れ、生き残るための策謀として1~4人称の視点をフル活用し、発達させていく。しばしばそれは、自分の利害を超えた社会的理想なと一顧だにしない精神的態度を人の中に育んでいく。

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以上に述べたような再生産システムが、我々の住む社会において格差問題などの生きづらさを生じさせている根本的要因だと私は考えている。近頃は新しい資本主義というワードも聞くが、それがどんなに目新しいものであろうとも、私が整理した強欲自由主義の再生産システム自体を改編するものでなければ、根本的な解決にならないのではないかと思う。

深層自由主義の再生産システム

以下の四象限が既に進行中の深層自由主義の再生産システムに関する私の仮説だ。この再生産システムは左上象限(個×内面)からスタートし、他の象限に影響を与え、結果として社会全体を変えてゆく。誰にとっても喜ばしい(と私が考えている)深層自由主義は、個人が内的変容を遂げることによってもたらされると私は考える。

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スタート地点は個々人が内面において0人称へ回帰することだ。エゴイスティックな欲求を超越した自己超越的目的(自他未分離の境涯)を志向するほんとうの自分は本能的視点(0人称)と関連している。

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しかし、我々が子どものころは、ダイモンとしてのほんとうの自分は可能性としてしか存在していない。人間が実際にそれを高度に表現するためには、成熟を続けて社会的視点(5人称)を持つに至らねばならないのだ。

社会的視点(5人称)は、社会における慣習的な枠組み(ex.市場価値・時価総額)を越えて、自分の原体験とつながった何らかの社会的理想を掲げ、それを人生の目的として歩む視点だ。「勝たなくてはならない、優秀さを示さなければならないという常なる強迫観念」、それを増幅させる社会システムを変革対象に見据えるには、社会的視点(5人称)に生きるという高尚な内面を人間が備えていなければならないということだ。

ところで、本能的視点(0人称)に回帰するにはどうすればよいのかと思われる方もいるだろうから、簡単なワークをご紹介しておく。自分の情熱の源泉を明らかにすることを目的としたワークだが、この手順通りに作業していただければ、多くの方が自身の本能的視点(0人称)の志向性を掴むことができるだろう。

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このワークで明文化された自分の情熱の源泉を起点にして自分のやりたいことに思いをはせてみれば、ほんとうの自分が心の内で湧き立ってくることを感じるかもしれない。

内省を進め、ほんとうの自分の志向性を確かめながら日常生活を生きてみよう。大変なこともたくさんあるかもしれないが、徐々に創造的直観によって日々直面する課題を乗り越えていくコツがわかってくる。コーチングを活用して創造的直観を意図的に活用する場を持っても良いだろう。

ほんとうの自分の志向性を頼りに生きていれば、そう遠くないうちにあなたは社会的視点(5人称)に生きることを意識し始めるだろう。数年後には「勝たなくてはならない、優秀さを示さなければならないという常なる強迫観念」を脱して、自分が本当に大切だと思う目的のために働きたいという動機とその実力を既に得ているに違いない。そうして可能となるのがキャリア自律だ。

創造的直観を起点としたキャリア自律

キャリア自律という単語はプロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会の設立者である平田麻莉さんが使われている言葉だ。キャリア自律の意味を平田さんは下記のように言っている。

「キャリア自律」とは、名刺をたくさん持つことで実現するのではない。自分を必要としてくれる人がそれなりにいて、働き方やライフスタイルの選択肢を複数持てるということだと思います。会社員としてフルコミットして邁進することを自発的に選んでいるのであれば、それも自律していると言える。会社の看板で予算やリソースを使い倒すからこそできる大きな仕事もあります。

彼女はフリーランスキャリアの提唱者と看做される部分もあるかもしれないが、必ずしもフリーランスという働き方を自律したキャリアと捉えているわけではない。働き方やライフスタイルの選択肢を持ち、自分にとって望ましいと思える選択肢を自発的に選ぶことができるキャリア全般を「キャリア自律」の体現として捉えている。

キャリア自律について平田さんが語った別の記事を抜粋しよう。

私たちはフリーランスの定義を、「特定の企業や団体、組織に専従しない独立した形態で、自身の専門知識やスキルを提供して対価を得る人」としています。

・・・

みんなが独立や副業でフリーランスになるべきだとか、その数を増やしたいということではなく、自分の人生や仕事の手綱を自分で持つという意味で、”キャリア自律”という考えが私たちの根本にあります。そのための働く選択肢を増やし、整備し、選び取りやすくするということがミッションだと思っています。

(JAICO 1-2月号 平田麻莉「フリーランスの未来」)

平田さんが述べるような自分の人生や仕事の手綱を自分で持つ仕方でのキャリア自律は、サバイバル脳に駆動されて、サバイバル脳の発動を構成員に共生する組織の中で使役されるあり方と対照的である。

平田さんのいうキャリア自律は、「勝たなくてはならない、優秀さを示さなければならないという常なる強迫観念」を増幅させる競争を煽る行動規範から我々が開放され、働き方やライフスタイルの選択肢を持つ在り方を示すものだと私は考えている。

キャリア自律:「好きを仕事にする」と「食べるために仕事をする」の狭間を生きる

個々人が自律的に働き方やライフスタイルの選択肢を持てる世界は歓迎すべきだろうが、そのようなキャリア自律が簡単なことではないと思う。我々は「好きなことで稼ぎたい」と願うが、実際には「食べるために稼ぐ」ことから大抵の場合逃げられない。キャリア自律に向けては相応の心得と技能の積み上げが必要ではある。このあたりのことは以下のnoteで述べたので是非ご参考いただきたい。

上記noteでお伝えしたかったことの要旨は以下のことだ。

食べるための仕事において、限られた自由の範囲で”好き”を志向していく。そうした努力を惜しまない。そうすることで、本来食べるためにやっていた仕事の中に、”好き”の要素が織り込まれていく。しかもそれは自分が”好き”であるだけでなく、他者(顧客や組織)にとっても価値のある仕事として、徐々に広がっていく。

そう、彼ら/彼女らは「自分の好きという価値」と「他者への貢献価値」という軸でも、それらを二項対立する概念ととらえず、積極的に両立・統合させにいこうとするのである。

彼ら/彼女らは上記のような矛盾と対峙することで、好きなことで稼ぐための能力・人脈等の無形資産が蓄積し、いつしか「好きなこと」と「稼ぐこと」が完全に一致する未来を形成していくのである。

つまり「好きなことで稼ぐ」ことにおいては、「好きなことで稼ぐにはどうするか」と、未来を考察することが大事なのではない。むしろ両者の矛盾と積極的に対峙し、「食べるために稼ぐ」ことにおいて、「どう好きを実装するのか」という足元の現在こそが大事なのだ。いまに没頭することが答えなのである。

このような考え方を元に歩んでいけば、自ずと自身なりのキャリア自律の姿は見えてくるだろう。

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