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鎮魂のソフトボール

60歳以上の爺の力とは思えないほど、球体表面の白いゴムをバットでひっぱたかれて、体の芯のコルクを痺れさせながら、三遊間のグランドの土を蹴散らし、私は跳ねていく。レフトへの旅路が約束された一場面かと思われた。ショートのグローブが近づいてくるが、私からは距離がある。これなら旅路を邪魔されるはずはないと思った瞬間、そのグローブが近づいてくるスピートがいきなり増し、最短距離の角度で迫ってきたと思うと、突然目の前が真っ黒になった。ショートの爺が横っ飛びをして、私の勢いを、馴染の牛革の臭いの中に封じ込めたのだ。

怪我をするような危険なプレーは止そうよ、もう年なんだから。健康維持のために、趣味の楽しみでやっているシニアソフトボールなんだから。他のメンバーなら私もそう言ったろう。しかしこのショートの爺にはそんなことが通じないのはわかっていた。チームメイトも、ソフトボールの楽しみ方は、個人個人で決めることだから、この爺の果敢なプレーには口出ししない。この爺にとって、ソフトボールへの情熱は、自身の過去の冬山登山の経験からくる彼なりの思い入れと深くかかわっているのを知っているからでもある。

もともと彼が冬山登山を始めたのも、その時付き合っていた彼女がたまたま山好きで、一緒に登ろうと誘われたからだ。由紀子は冬山登山の経験が豊富で、体力も技術もあったので信頼できるパートナーだった。慣れないアイゼンとピッケルを使って初めて比較的低い冬山を2人で踏破した感動の余韻は、頂上で味わってそれで終わりというわけではなかった。下山した後の、由紀子の燃えるような体のほてりは、彼にも伝染して、お互いの体をむさぼり、征服しあうまで収まることがなかった。危険と隣り合わせの経験を共有したパートナーだから味わえる喜びをお互いの体の奥まで伝え合え、響かせ合うのは、めくるめく、共依存の快楽追求の旅への第一歩だった。

冬山登山をする前から2人の快楽追求の旅は始まっていた。冒険心と性欲が合流しあった先に何があるのかを探りたい思いが2人の心に渦巻いていた。官能の源泉から熱いしぶきが噴き出るまで、心の岩盤に楔を打ち込んでほしいという欲望を満たすために、由紀子は、彼の海綿体のピッケルが熱く、固く充満して、それで打ち込まれた大地の積雪が一瞬で溶けて消えるようなシナリオを考えて、その通り2人で演じたいと彼に迫る。お互いがお互いを奪い合い、お互いがお互いに最大限の喜びを与え合うために、お互いがお互いの本能の奴隷になり、お互いがお互いの本能の支配者になる。性の奴隷と支配者の立場が、刻一刻と変わる、そんなシナリオが考えられ実行された。支配欲に飢えた狼が、体の自由を奪われ、もがき暴れる獲物に次第に心の底から狼に支配されたいと願わせるほど、触覚刺激のアクセントを交えて快楽責めにするという、奉仕活動に全身全霊で打ち込む。獲物は、支配されるものかと、その肉体を襲う快楽の波に、羞恥心を頼りに必死に抵抗しながらも、肉の歓喜の叫びと震えをのたうつ全身の筋肉で表現して、支配者の蹂躙欲をめいっぱい煽るための振付で相手の奉仕活動に報いる。喘ぎと悶えの振付の完成度を高めるために、獲物の乳首に刺激が加えられると同時に打ち込まれる楔。二つの刺激からくる官能の連鎖が増幅して、楔をさらに強く締め付ける。締め付けることで搾り取れるものは全て搾り尽くそうとするが、それでも満たされない官能の餓鬼。この楔ごと絞り取られても構わないという覚悟のない支配者は、官能の餓鬼の抱える底知れぬ深淵さにおののき、その唇への愛撫でお伺いを立てる。唇から赦しと協調の承認をもらった支配者は、もっと感じさせてほしいと恋焦がれる切ない表情と、もっと強く乳首をつねって下さいと懇願する情感を込めた言葉に励まされ、過去の後悔も未来の不安も脳裏から消し去って、今この瞬間の獲物の本能を満たすことだけに集中する。辛抱強く長い時間をかけ、獲物の性感帯の根源を探り当て、そこに隠された官能の泉の蓋を解き放つ時、また解き放たれるとき、両者のお互いの中の、服従の喜びと支配の喜びが相拮抗する絶頂の瞬間を迎える。お互いが、相手の脳内に巻き起こした雪崩が共鳴し合い、更なる大きな雪崩となって、自分たちの力では制御不能な勢いで、2人を予期しないところまで運んでいく。

冬山登山の厳しさが、めくるめく快楽追求の旅を後押しするのか、より質の高い快楽を求めるあまり、危険な高みを極めようとするのか、どちらが先か、もう彼らにはどうでもよくなっていた。この旅の醍醐味は、無事下山することが前提なので、2人の実力に不相応な難度の高い雪山登山は意識的に避けていたが、無意識のうちにもっともっとという冒険心が2人に湧いてくることは避けられなかった。

新たに2人で制覇する体験を重ねるたびに、自然の猛威の中で、木の葉のようにもろく、一瞬で吹き飛ばされる人間の命のはかなさに対する感覚が研ぎ澄まされていった。その儚さというフィルターでろ過され、味わい深くなっていくコーヒーを、もう次の瞬間のには、実際の雪崩に襲われ、飲めないかもしれない、そのぎりぎりのところまで追い込まれ、垂らされるそのコーヒーの一滴、大地の奥深くたぎる情熱の核心に染み渡るような蝋燭の熱い涙の粒子。それがないとお互いに脳内雪崩を起こすスイッチが入らない体になってしまった。めくるめく快楽を体に刻み込み、その追求の旅人になってしまっていた2人にとって、自然の厳しさと対峙する冒険に出るしか、スイッチを入れる方法がなかった。

脳内雪崩を引き起こすスイッチを入れる感覚を呼び戻したい渇望が、2人を試練へと導くまでにそう時間はかからなかった。二泊三日の登山計画で目指す山に登頂したのち、下山途中、2,3m先が見えないほどの猛吹雪に会い、分岐を示す標識を見誤ってしまい、本来の下山ルートを外れているのに気づいたときは、かなり下まで下っていた。迷い込むきっかけとなった地点まで、登り返して元に戻るのが一番の安全策だが、たとえ体力が残っていても、元来た道を上り返すのは、苦労しなくてもいいところを、わざわざ苦労しに行くという修行を重ねた者だけがつちかえる気力と決断が求められる。その決断の重さから逃れたいばかりに、ついこのまま進んでも、吹雪も弱まったし、何とか本来の下山ルートに戻れるであろう確率に賭けてしまった。そのうえ、今度こそ脳内雪崩を引き起こせるという2人の心に芽生えた予感を、一刻も早く下山して本当かどうか確かめたい思いが2人の足を早めていた。はやる思いで少しでも前に歩を進めるが、この吹雪では、これ以上進めないと判断して、その場でテントを張って一夜を明かした。

明日への希望を打ち砕いたのは、最悪のふたつ玉低気圧の接近だった。吹雪の勢いが増し、突風に煽られたテントは、金具で打ちつけられていた地面から吹っ飛び、2人の荷物も一瞬で目の前から消えた。零下10度の寒空に晒され、徐々に体温が奪われていく。手袋が凍り、手足の感覚がなくなっていく前に、ピッケルで雪洞を掘り終え、その中でお互いに体をさすり合い、励まし合うも、由紀子は放心状態になる。「カモメが猫の背中に止まっている、あ、猫が走り出した。背中のカモメが宙に。」

「しっかりしろ、由紀子、カモメは自由に空を飛んでいるよ、俺たちみたいにな。一緒に羽ばたいて無事下山するんだ。」

冷たくなった由紀子の体にもう一度あの時の火照りを取り戻してやることができなかった後悔から流れる涙の熱さは、官能の岩盤にしみ込む蝋燭の涙の熱さを上回り、彼の身を焦がした。苦労しなくてもすむところをわざわざ苦労しに行く修行僧の心構えがなかった自分を、彼は責めた。道を迷ったと気付いたあの時、登り返す決断さえしっかりできていれば、それを実行に移すんだと力強く彼女を説得できていれば、遭難することはなかったろう。ただ仮初めの修行僧が、普段から担ぎなれない、そういった決断の重さに耐えられるわけがないのはわかりきったことだ。筋トレと同じで、日頃の鍛錬の積み重ねが物を言う。

少しぐらい疲れていても、目の前に乗って下さいと扉を開けて待ち構えているエレベーターの誘惑に負けないで、階段を使う。近い距離は自分の足を使う。少し長い距離でもなるべく車を使わないで、自転車を使う。そのうち、楽な道が現れた時、それは自分を怠けものにする誘惑か、本当に自分の身を気遣っての思いやりかの区別ができるようになる。頭に描いたイメージと肉体の感覚のズレをたえず調節する、その気が遠くなるほど骨の折れる小さな積み重ねが、262本のシーズン最多安打に繋がるように。

習慣の中で、自然と鍛えられるのがいいと彼が言う。目的は違っても同じ習慣を持つ仲間に加わる。仲間同士という環境に身を置く。それには、チームスポーツであるソフトボールが、官能の吹雪で一度は盲目になった年寄りには向いている気がすると。比較的狭く決められている守備範囲が、無茶な冒険心を抑え、その範囲の中で責任を果たすよう任された周囲からの信頼感が、自分で飛び立つ決断をする重さを軽くしてくれる。

チームメイトが彼をからかう、ペンギンのくせに、カモメのように空を飛ぼうとするなよ。それに答えて、大丈夫だ、腹ばいになって飛び込むだけだから。その時に口ばしに魚をくわえてこられるラッキーな瞬間あったら、それはそれでいいし、何より飛び込む勇気があるかどうかを確認させ続けてくれるのが嬉しいと。スライディングキャッチをした球の数が増えれば増えるほど、由紀子が喜んでくれそうな気がすると。

彼の牛革のグローブの中で嗅ぐ臭いに、何か他のものが混じっているように、私は感じる。冬山遭難の出来事として、彼から聞かされた過去の回想は、彼の贖罪の想いを全て語り尽くしているのか、私は疑問に思う。記憶というものは自分の都合のいいように組み替えられることもある。もしかしたら、道に迷ったと気付いた時、由紀子は真っ先に、元来た地点まで登り返す決断をし、彼に同意を求めたが、それを拒んだのは彼だったのではなかったのか?二人が助かる可能性を狭める道を無意識に選び、結果的に彼女だけを死に追いやったのも、彼女との官能の餓鬼の飢えを満たす冒険の果てに待ち受けているものから逃げたいという本能の叫びに従ってしまったからではないか?

遭難するまでの道筋は、2人には予期せぬもので、変えられぬ運命だったのかもしれないが、遭難へと導く運命の道筋をつけたのは、彼の無意識の想いだったのではないか?その時の彼の心理を彼自身もはっきり言い表すことができないだろう。だからここからはあくまで私の推測になる。

由紀子と会う前は、彼は性的に興奮して、自身のオタマジャクシを体外に、「気持ちいい-」と解き放つことに、かなり不器用だった。気持ちよくなるためには興奮が足りないのか、物理的刺激が足りないのか、腹ばいの床オナで、妄想の奴隷になることでしか、オタマジャクシを呼び出すことができなかった。自分が生まれてきた「故郷」と同じ場所に、たとえ全く違う女性であっても、自身のオタマジャクシを放流するのがこんなにも大変になって、少しは鮭の気持ちがわかっただろう。床オナの強い刺激が慢性になって、「故郷」の刺激や感触に興奮のスイッチが入らなくなり、オタマジャクシを引きこもりにしてしまった。引きこもりの問題を解決するには、床オナでの「気持ちいい―」を手放すしかないと禁欲に励んでいたころ、由紀子に出会った。

彼のオタマジャクシを社会復帰させる点で、由紀子ほどその役割にぴったりの女性はいなかった。由紀子の「母なる大地」がブラックホール並みの、吸引力で彼のオタマジャクシを引き付けたわけではない。由紀子は、たとえわずかな物理的な刺激でも、それを何倍にもする性的妄想を彼の脳内で湧き上がらせ、彼の興奮度を高め続けた。彼がこれまで見たどのAV女優より、妖艶で色っぽく悶える表情、耐え忍ぶ切ない仕草。それが世間から見ていかに倒錯していても、彼の性的趣向の冒険に付きまとう不安にもひるまず、自ら身を投げ出す、最高のパートナーになった。

最高の性交パートナーを得た幸運の裏に待ち構えていたのは、長年悩まされていた遅漏れの反動だ。彼が興奮の頂点を極めるのは、妄想が現実化する一歩手前か、現実化された瞬間にオタマジャクシが放流されることが多くなってきて、由紀子のように、現実化された場面をじっくり味わう貪欲さがだんだん失われてきた。オタマジャクシの暴走を間一髪止めるか、オタマジャクシを再生産するか、どちらの選択肢ももともと不器用な彼には無理な相談だ。そんなことぐらい、由紀子も理性ではわかっているが、オタマジャクシの放流が早すぎたせいで消える、彼女の官能の炎が肉体に不満をこぼしてしまうのを、彼女自身どうしようもなかった。しかし彼にとっては、’早すぎる’は未熟からの旅立ちの第一歩であったのだろう。

お互い口には出さない、この性的な葛藤が、2人の心に溝として、知らぬ間に穿たれていった。お互いの肉体の共依存から憎しみが生まれる前に、何とかしなければならないと、彼の方が先に思っていたに違いない。おそらく、思い描いていただろう、2人ともか、でなければどちらかが、荒れた雪山で繰り広げられるだろう自然のエネルギッシュな舞いの舞台で、命尽きるまで踊り続けないと未来が見えない場面を。

真っ黒に閉ざされた視界から、上昇感とともに明るさを取り戻した私は、充分な休息もなく、力強く握られたかと思うや否や、”母なる大地”に向かって身を躍らせた、オタマジャクシのような軌跡を描いて。

#ふるさとを語ろう

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