「はいって言っちゃいけないことはないよ」

昨日のゼミで指導教官の先生にそう言われた。修士論文の指導中だった。ゼミが終わって同じ留学生の先輩と話し合っているうちに、先生のその一言について、二人は全く異なる意味で捉えていることがわかった。

先輩は「はいって言わないで」と捉えた。理由としては、私が授業中に先生に反する意志を示せずに、ずっと「はい、はい」と答えていたから。一方で、私は「はいって言え」と理解した。理由としては、先生はその一言の後に「はいって言ったら、次に続くのに」と続けて言ったから。このような意見の違いは、いままで私が先生の研究に疑いを持っていることをゼミで公然と示していたことに由来する。私は、自分が持っている疑問に対して先生に説明してもらいたいつもりで言っていたが、先生には、その聞き方をした私が偉そうで、自分に盾突いているように聞こえたようだった。それで前々回のゼミで、ついに「○さん、私の指導を受けたいの?本気で」と先生に言われてしまった。私から見れば、自分の研究に対する異議を謙虚に受け入れない先生の方が偉そうで、研究者のあるべき姿じゃないと思っていた。研究者じゃない人の指導なんて受けたくないのは正直なところだったが、対峙しているような局面になってしまったのは自分にも責任があるから、そこから逃げたくないのも自分だった。そのため、先生の指導を受けたいと答えた。

それ以来、自分の研究したいことに集中し、前回のゼミから自分の研究テーマについてだけ話していて、先生の研究には一切触れないようにしていた。その先輩から見れば、前回までのゼミでは先生と同じ感じ方で偉そうな発言が確かに多かったが、前回からは態度が良くなったから、先生に「はいって言え」と言われるわけがなくて、むしろ先生の言うことに対して、何でも「はい」と答えているから、「分からなかったら、はいって言わないで」と先生が言っているはずだということだった。でも私から見れば、今回のゼミでは私はわからないことに対して「はい」と言っていなかったし、先生に同意できないときは前と変わらずはっきりと示していたから、そして、文法的にも自分の理解が間違っていないと思っていた。そこで、日本人の先輩に判断してもらった。

その先輩にはすぐには答えが出なかったが、少し考えてから「はいって言え」の意味だが、なんで先生がそんなこじれた言い方をするのかが理解できないと教えてくれた。それに対して、私はこう説明した。つまり、私が先生の言うことに対して心では賛成しているのに、口では否定しているというふうに先生が感じたから、心と口が一致していないこじれた私に対してそのこじれた言い方にしたに違いない、と。

その説明に対して、日本人の先輩はちんぷんかんぷんで、留学生の先輩は到底賛成できなかった。今回のことでは、私の理解は果たしてあっているか間違っているかが知りたかったが、私は心と口が本当に一致していないかということも反省させられた。

自分は他人の言うことを容易に同意しないのが確かである。何か言われたとき、知らなかったことだったら、「なるほど」と言わずに、「そうですか?」と言いがちであり、ちょっとでも知っていることだったら、賛成する場合は、うなずくが、賛成できない場合は「違う」と示す。そういう態度は決して自分が優秀だとアピールしているのではなく、ただ他人に同意することを警戒していると思う。他人に同意したら、自分がなくなってしまうとか、同意を示した他人が結局間違ったということになったり、その同意によって悪いことを及ぼしたりするとまずいとか。そのような考えが自分の中に根強く存在していると思う。

それは別に悪いことではないと思うが、それによって人間関係に支障が生じているのは確かである。

自分に困る。


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