日本近代法の父、ボワソナードのお墓への行き方
はじめに
明治時代における日本の近代法の整備・法学教育に力を尽くし、「日本近代法の父」と呼ばれるボワソナードのお墓を訪ねてきました。
ボワソナードは晩年フランスに戻り、余生を南仏アンティーブの地で過ごしてそこで亡くなりました。今回の記事では、今後ボワソナードの墓地を訪ねる方のため、行き方を記したいと思います。
一路、南仏へ
アンティーブはいわゆるコートダジュール(Côte d'Azur)地域の、カンヌとニースの間にある地中海に面した港町です。
鉄道で行く場合、マルセイユから2時間ちょっとかかります(線路がTGVのものではないのでスピードが鈍る)。パリから鉄道だと5時間以上かかりますので、パリからだとニースまで空路なども考えられるのではないでしょうか。
トゥーロンを過ぎた辺りからは海沿いを走る場所もあり、おお、南仏っぽい景色!と思っているうちにアンティーブに着きます。
アンティーブの駅はあまり大きくなく、観光の中心である旧市街、la vieille villeまでは徒歩10分ほどあります。
我々は一泊して旧市街側でピカソ美術館に行ったり食事をしたりしました。その辺りは別途書くとして、今回はお墓について書きます。
交通手段
ボワソナードのお墓は市民墓地(Cimetière Rabiac)の一角にあります。
アンティーブ駅からも歩ける距離ですが、坂がそこそこきつく思われましたので、墓地の目の前にあるバス停までバスで行くのが一番楽かと思います。6番のバスです。
我々は旧市街から行ったので別のところから乗りましたが、アンティーブ駅からだと山側に出てRochatのバス停から乗れそうに見えました。他のバスが集中して出ているターミナルとは違うのでご注意ください。
バスチケットはEnvibusアプリを入れておけばスマートフォンで購入でき、validéもバス車内のQRコードをスキャンすることで可能です。代表者が複数チケットまとめ買いできます。最初の乗車から1時間まで、同じチケットで他のバスに乗り継げます。
Cimetière Rabiac
比較的すぐ目的地に到着しました。
この墓参を企画した某配偶者の調査によりおおよその位置が分かっていたのもあり、入り口(Entrée A)からまっすぐ入っていって100メートルくらいのところの右手に、すぐボワソナード博士のお墓を見つけることができました。
我が家、8年前に当時5歳児を連れて梅謙次郎先生のお墓に参り、今回、現5歳児を連れてボワソナード博士のお墓に参れました。多分子どもたちは大学生くらいになれば意味合いがより分かることでしょう…!
墓参後の訪問地
先ほどの6番バスで駅方面に戻っていき(Port Gallice行き)、Printemps・Palais des Congrès・終点のPort Galliceあたりで降りますと、ボワソナードが亡くなるまで住んでいた地域Juan-les-Pinsの海辺に着きます。
我々は雨の中、5月でまだ寒く、あまり南仏の景色を楽しむことはできませんでしたが、おそらく良い季節だと気持ちよく過ごせるのではないでしょうか(だからこそ老後の居住地に選んだのでしょうし)。
どのくらいの方のお役に立つか分かりませんが、今後、ボワソナードのお墓を訪れたい法学研究者の方などに、少しでもこのメモが役立ちますと幸いです。
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