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(61)川田の渡米①/あきれたぼういず活動記

前回のあらすじ)
奇跡の再起を果たした川田は、ダイナ・ブラザースを結成、さらに美空ひばりと出会い彼女を売り出す。そして芸名を川田晴久に改めた。
有木山太もシベリアから復員してきて舞台に活躍する。

※あきれたぼういずの基礎情報は(1)を!

【川田と美空ひばりの渡米】

舞台にラジオ、映画出演と忙しく活躍していた川田は、1950年1月、過労で倒れてしまう。
復帰したとはいえ、無理はできない身体だ。

しかし川田はこのとき、アメリカ旅行のプランに期待をふくらませていた。
美空ひばりと川田の元へ、日米キネマから渡米公演の誘いがきていた。

 相変らず過労で倒れて
 それでも渡米を夢みる川田晴久

◆……「暮は困ったね、過労で倒れたが、まだ「笑う地球」の一部撮影が残っていたので大映の方でもヤキモキしながら越年、正月の七日に熱が下ったので、それッとばかりに機械を家へ持ち込んでもらって録音したんでね……そのセリフに合せて芝居は替え玉にしてもらい、ぼくは一部大写しの所だけ出たんだ
 自動車で徐行しながら往復して半日の仕事で片付けてしまった、あとで清めて拝んでもらったからその日から熱が下ったんでホッとしてるが、信仰って不思議ですな……」
◆……柄にないような話であるが結局原因は風邪と過労と判明、大事をとって二月中ごろまでは休養するそうだ「命には別条ない事が分ったんで、じつは話もあるので許可が下りるようだったら、今年は是非アメリカへも行ってみたい

東京新聞・1950年1月24日
東京新聞・1950年1月12日

まだアメリカ占領下の日本では、渡航手続きが難航したようだが、5月にはいよいよ渡米が実現。
14日には二人で「渡米記念・歌と御挨拶」として新宿・浅草・銀座の松竹直営館を回っている。

東京新聞・1950年5月14日

そして16日の朝8時半、家族や芸人仲間たちが見送る中、羽田空港を出発。
川田、ひばり、ひばりの母、三人きりでの渡米だった。
(同じ飛行機で「憲政の神様」と言われた尾崎行雄も渡米している。)

 昭和25年5月16日朝8時、川田晴久、美空ひばり、そしてひばりの母の3人は羽田飛行場からPAA機に搭乗。ハワイに向けて、約2ヵ月間の公演に旅立った。羽田では、家族のほか、漫才の花菱アチャコ、吉本興業の林弘高社長、松竹の映画監督・斎藤寅次郎、コロムビアレコードの関係者ほか、大勢のジャーナリスト、見物人が見送った。

『川田晴久と美空ひばりアメリカ公演』
東京新聞・1950年5月17日

川田晴久と美空ひばりアメリカ公演』には、川田自身が撮影したものも含め豊富な写真、川田の日記などで渡米公演が生き生きと記録されている。
非常に貴重な、見応えのある一冊である。

以降、当時の新聞記事を当書で補足しつつまとめていく。

【ハワイでの歓迎】

パンアメリカンのプロペラ機で、ウェーキ島を経由、約18時間をかけてホノルルへ到着。
首にたくさんのレイをかけられ、カメラのフラッシュを受け、現地のファンたちの熱烈な歓迎をうけた。

ハワイ公演は、第百大隊(大戦中ヨーロッパで戦った日系アメリカ人部隊)の招聘によるもので、大隊の記念会館を建築するための基金募集が一つの目的だった。
三人は到着するとをのまま、戦死した百大隊の隊員達の墓地へ向かい、黙祷を捧げた。

東京新聞にも、川田らのハワイでの様子が伝えられている。

 病身を気づかわれていた川田晴久は健在で、美空ひばりと共に二世部隊の記念碑基金募集の公演を、特に許されてハワイのシビック公会堂(収容人員四千人)で催し、三日間続演、川田は紋附はかまで出演した
 映画「東京キッド」のロケは十八日に完了、両名は十九日にロサンゼルスへ到着している、帰国は七月廿日の予定で、帰国第一回出演は浅草国際劇場と内定している、なお両人はハワイ滞在中KGMB放送室で対談放送をしたが、珍問続出でスタジオ内のお客を喜ばせそのお礼に後に飾ってある品物一品をお土産にもらったがひばりは、美しい化粧箱を選んだのに対し、川田は日本の冬の楽屋の用意に精巧な電気座ぶとんを選んだという

東京新聞・1950年6月25日
ハワイのラジオに出演/東京新聞・1950年6月25日

シビック公会堂での公演は満席で、観衆はひばりの歌に熱狂、川田のギター漫談で爆笑の渦となった。
その後、マウイ島、ハワイ島、カウアイ島と回って各地で公演した。

ラジオは記事内に書かれているKGMBのほか、KHON・KPOAの三局に出演している。

映画「東京キッド」「東京キッド」は川田と美空の渡米決定を機に企画されたもので、帰国後セット撮影したものに現地で撮影した映像を挿入して完成させる計画。ハワイロケでは川田が現場監督を勤めている。6月19日にロケを終え、20日にはホノルルを出発、サンフランシスコに到着している(※)

※『川田晴久と美空ひばりアメリカ公演』による。当時の東京新聞記事の情報とは一日ズレがある。


【参考文献】
『川田晴久と美空ひばりアメリカ公演』橋本治・岡村和恵/中央公論新社/2003
『ひばり&川田inアメリカ1950』日本コロムビア/2013(CD)
東京新聞/東京新聞社


(次回4/7)川田&ひばり、アメリカ本土へ

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