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(9)弓道部への誘い:北海中学①/あきれたぼういず活動記
(前々回のあらすじ)
夕張の兄弟…兄の坊屋がお寺へ養子に出された後、弟芝利英が生まれた。
▶︎今回は二人が札幌の中学へ入ってからのことを。
私は北海中学という旧制の中学に行ってたんだけど、そこに通ってたら、弟も入ってきた。二年くらい下で。しかも、私が弓道部の主将をやってたら、その同じ弓道部に入ってきた。
もちろん兄貴だってことは知ってる。ま、親戚だ、くらいに思ってるわけね、向こうも。
【坊屋、弓道部へ入部】
1924(大正13)年、14歳になった坊屋三郎は、札幌の私立北海中学校に入学する。
現在の私立北海高等学校である。
坊屋は弓道部に入部。
小柄ながらも早くから才能を現し、二年生のとき先輩達に混じって出場した大会(小樽招魂祭奉納弓道大会)では当時の部報に
「当日は柴田俊英君の射道優秀に付き表彰されしは、本校に弓道部創立以来初めての事なり。」
と部長の筆で記されている。
また選手短評として
「柴田君 二年生にしてあの必量、あの射は天下無双。度々諸方面の大会に入賞し吾部の名を上げし事を感謝す。」
ともある。これだけでも彼の活躍ぶりがよくわかる。
【芝、入学】
坊屋が3年生になった1926(大正15)年、今度は芝利英が同じ北海中学に入学してくる。
別々に育った二人だが、ここ北海中学で顔を合わせ、共に学生生活を送ることになったのだった。
芝は、家が隣だった幼なじみの伊勢氏と一緒に入学している。
二人は札幌で「同じ下宿の同じ部屋で兄弟のように暮らして」いたという。
伊勢氏はのちに弓道部誌『錬磨』に度々寄稿しており、それらは『北海中学・北海高校弓道部100周年記念誌』(平成25年)にまとめられている。
また、当時の思い出を語ったインタビューも収められている。
坊屋や芝の学生時代を知る上でも大変貴重な資料である。
北海中学では放課後に上級生指導による応援歌の練習があった。
伊勢氏と芝は、これがいやでよく学校裏の藪に逃げてサボっていたが、そこを先輩の坊屋に見つかった。
藪に入り込んだ弓道部の矢を取りに来たらしい。
サボりがバレて怒られるかと身構えていると、
柴田先輩(=坊屋)が「よし事情があるんだったら放課後応援歌の練習をしなくても済む方法がある」と言うんです。何ですかと聞くと「授業終わったらここへ来い」と。
坊屋に言われるがまま行ってみると、そこは弓道場だった。
同郷で知った顔の新入生を見つけた坊屋は、ちゃっかり弓道部へ勧誘したわけだ。
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【不幸の知らせ】
この年、坊屋は先輩達とともに京都の全国大会へ出場するなど変わらぬ活躍ぶりをみせる。
ところが、10月の全道大会の出場メンバーには当然いるべきはずの坊屋の名前がない。
当時の部報には「其日突然柴田君父不幸の電報あり、而して出場不可能となる。」とある。
坊屋の父・実相寺住職の柴田俊龍に不幸があったという。
坊屋は急遽夕張へ帰るが、俊龍は10月9日に息を引き取った。
俊龍は、その前年の1925(大正14)年5月にはすでに住職を退いており、
その頃から体調が優れなかったのかもしれない。
二代目住職の命を受けた夏目貫道師(愛知県出身。1908年から夕張に来ている)が俊龍なき後には親代わりとなって坊屋の面倒をみてくれている。
【坊屋、部長になる】
翌1927(昭和2)年、坊屋は4年生であるが、最上級生である5年生が不在のため仮部長のようなポジションについている。
のちには5年生の入部があり部長を務めてもらうことになるが、
坊屋の性格からするとこの5年生も坊屋が引き入れたのかもしれない。
そして1928(昭和3)年には5年生になった坊屋が正式に部長となる。
この年の部報では坊屋が選手短評を記しており、芝利英については
石川君 本年度の猛練習は君をして急激な進歩を表わしてきた。当りも物凄いが、惜しい哉まだ落着が足りない、紙破りの感あり、君も来年から大いに奮闘して吾部の花形たらん事を希望す。弓道の真眼目は腹にある事を忘れない様に好漢益々自重せられん事を。
とある。
「落着が足りない」というあたりから、芝の性格が垣間見られる。
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【参考文献】
「ちょいと出ましたあきれたぼういず」坊屋三郎/『広告批評』1992年10月号/マドラ出版
『これはマジメな喜劇でス』坊屋三郎/博美舘出版/1990
『北海中学・北海高校弓道部100周年記念誌』北海高校弓道部星箭会100周年記念事業実行委員会100周年記念誌編集委員会/2013
『弓道部々報』/『協学会誌』私立北海中学校(校内誌)より/1924〜1931
(4/9UP予定)北海中学に転入生!
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