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(59)グループで、個人で/あきれたぼういず活動記
(前回までのあらすじ)
1946年6月に再結成したあきれたぼういず。戦前と違い、フリーで活動していく。
※あきれたぼういずの基礎情報は(1)を!
【ストリップ流行】
1947(昭和22)年。
1月5日の演芸欄、新宿の帝都座五階劇場のプログラムに「レビューヴィナスの誕生」とある。
大ストリップブームの始まりである。
戦時中に締め付けられた反動でタガが外れたかのように、ここから「ハダカ」ブームの時代となり、「ハダカ」の出ない舞台公演はこのブームに押されて苦戦していく。
しかし反面、ストリップ劇場からも多くのコメディアンが生まれている。
映画のほうは、まだまだ新作が乏しいのか、4月に映画「ハモニカ小僧」、7月に「あきれた百萬円」が上映されるなど戦前の作品が映画館にかかっている。
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【グループの活動と個人の活動】
第3次あきれたぼういずは以前と異なり、グループとしての活動と個人での活動を並行して行っている。
戦中、おのおの個人で活動していた期間があるので、そこで培った実力や評価、人脈などが活かされているように思える。
8月28日から日劇で「アロハ」公演。
昨年上演し、坊屋も参加していた「ハワイの花」の姉妹篇である。
今回、坊屋と益田が出演している。
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一方で山茶花は、9月、有楽座のロッパ一座公演に参加。
かつてはロッパ一座の青年部にいた彼が「特別出演」の枠で加わっているのは感慨深いものがある。
10月は再び三人が集結し、常盤座であきれたぼういず新作公演。
このとき、GHQに提出した英語の台本が残されている。
戦前も内務省の検閲で苦労したわけだが、戦後占領下でもやはり台本を提出し、検閲を受けていたわけだ。
淀橋太郎作、タイトルは“ No Title Show ”となっている。
With a prelude, the curtain rises. Before the drop-curtain the easy-going boys make their appearance and give a piece of their repertoire. After a while ——.
(前奏と共に、幕が上がる。垂れ幕の前に、あきれたぼういずが登場し、レパートリーの一部を披露する。しばらくして……)
Sazanka: Just a moment.
(山茶花: オイ、ちょっとまってくれよ。)
Boya: What’s the matter?
(坊屋: どうしたんだ?)
Sa: What we’re doing now is the piece that we’ve performed repeatedly on the air, on the screen and on this stage of the Tokiwaza Theater, you know.
(山茶花: こりゃ、ラジオでも映画でも、この常盤座のステージでも、何度も演ってるネタじゃないか。)
Boya: That’s right, but ——.
(坊屋: それがどうしたんだよ。)
Sa: However, on the signboard outdoors as well as in the advertisement of the paper it is propagandised that we’ll perform a new piece.
(山茶花: しかしだね、外の看板や新聞広告じゃ、「新作公演」と宣伝してるじゃないか。)
Bo: I see.
(坊屋: ウン。)
Sa: If we don’t perform a brand-new one, we’ll be charged with fraud, I’m afraid.
(山茶花: 新しいものを演らなければ、詐欺罪になる恐れがありますヨ。)
Bo: Alright, let’s perform a new piece.
(坊屋: よし、じゃあ新作をやろう。)
Sa: What shall we perform?
(山茶花: 何をやろうか?)
※カッコ内の訳は筆者
ここから、芝居の主役を取り合う掛け合いがあり、やがて「主役もない、題名もない新しいショウをやろう」ということになりショウが始まる。
キャバレーを舞台に、経営難に悩むキャバレーの主人・坊屋、借金取り・山茶花、謎の客・益田の三人とキャバレーの歌手やダンサーの女性陣が織りなすナンセンスなミュージカル・コメディとなっている。
常盤座公演ののちは大阪で公演、年末にはまた東京に戻ってきて、12月下旬は有楽座でクリスマスショウを開催している。
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翌1948(昭和23)年、あきれたぼういずは浅草大都劇場で岡晴夫、木戸新太郎一座と合同の元旦公演で幕を開け、3月には日劇の「東京ブギ・ウギ」に、今回は坊屋と山茶花が一緒に出ている。
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昨年の「アロハ」の評では「坊屋と益田にはもっとふうし的な本を与えてみたいと思った」(東京新聞・1947年9月9日)と書かれているが、
今回は「ふうし味を加えた坊屋、山茶花のヴォードビルから群舞にまで及ぶいまの市民生活断面の反映……それがこの一作を前進させた要素だ」とある。(東京新聞・1948年3月8日)
ナンセンスさや音楽性とともに、鋭く世の中を風刺する役割もあきれたぼういずには期待されているようだ。
6月には、浅草松竹座で劇団黒潮が旗上げされる。
山茶花究が旗上げ公演から参加、7月の第2回公演にはあきれたぼういず全員で応援出演している。
ストリップ蔓延に対抗する真剣な熱演ぶりが東京新聞でも評価されており、あきれたぼういずについては「『怪談デカメロン』(淀橋太郎作)も構成に粗雑なところはあるが、あきれたぼういずを一応器用に使って機知に富んでいる」との評が出ている。(東京新聞・1948年7月20日)
当時まだ田舎に引っ込んでいた阿木翁助も、山茶花に頼まれて黒潮の脚本を書いたそうだ。
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【山茶花究の活躍】
1949年元旦初日、有楽座の正月公演は笠置シヅ子と榎本健一の顔合わせにあきれたぼういず。
うだつのあがらぬ旧友三人が再会したことをきっかけに楽団を作り再出発するというあらすじで、この旧友三人を榎本、笠置、山茶花の三人で演じている。
戦中の森川信の一座での活躍や、戦後すぐの自身の一座での活躍のおかげか、あきれたぼういず三人の中でも山茶花の演技力がとくに見出された配役がされ始めている印象がある。
そしてこの頃から、新聞紙面で盛んにヒロポン中毒が問題になっている。
ヒロポンは「疲労がポンと取れる」と謳われ戦争中から流行した薬だが、要は覚醒剤である。
兵隊たちが使っていたところから拡がり、芸人にも蔓延していた。芸人楽屋に蔓延したヒロポンについて東京新聞(1949年1月17日)の記事でかなり大きく取り上げられているが、その中に山茶花の名前もある。山茶花の命を縮める原因になってしまった薬だ。
ヒロポンが流行したころ、山茶花もまたその魅力に負けた一人だったなァ。「やめろやめろ」と注意したんだが、どうしてもやめ切れなかったんだョ。
…
あたしはどういうわけか、やらなかったョ。人間が臆病なんだろうなァ……そのおかげで助かったがネ。山茶花はかわいそうなことをした……。
【参考文献】
『これはマジメな喜劇でス』坊屋三郎/博美舘出版/1990
東京新聞/東京新聞社
『Akireta Boy's Show』 (文書名:GHQ/SCAP Records, Civil Information and Education Section = 連合国最高司令官総司令部民間情報教育局文書)
※国会図書館オンラインURL:https://id.ndl.go.jp/bib/000006752731
(次回3/24)川田、奇跡の復帰
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