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クリエイティブディレクターという仕事。そして、この国に足りなかったもの。

新型コロナウィルスの影響で、世界は大きく変わってしまった。3ヶ月前には誰も予想していなかった姿だ。医療の現場は過酷な状況が続いているし、感染の恐怖と戦いながらこの騒動を収束させるために動いているすべての方に敬意を表したい。

しかしながら、そういった人だけに限らず、あらゆる人々が少なからず被害を受けており、経済的な打撃は広範囲にわたる。飲食店や映画館、旅行やテーマパークといった人が集う場の被害は甚大で、大企業も中小企業もベンチャーも個人も、そしてあらゆる業種も被害を受けている。少しずつ落ち着きを取り戻しつつあるものの、この大きな変化にこれから対応していかなければいけない。可及的速やかに。

このような最悪の中でも、いくつかの希望の光は見つかる。この社会に蔓延した古き慣習、悪しき常識を見直す機会になったことは間違いない。不要な通勤、無用な会議がリモートにより改善され、ハンコや紙資料提出といった「無駄で怠惰な文化」に強制的メスがはいった。新型コロナは社会的黒船となって日本を変革している。おかげで(ある部分においては)10年ほど早巻きに進化したように思う。

象徴的な変化は「政治」への社会の目だ。「あ、この国の政治は意外にも機能していなかったのだ」ということを、多くの人が認識したのではないか。モリカケ桜といった過去の事件から、不自然なマスク二枚の配布、不透明な説明の連続、曖昧なままに続く自粛要請、謎の検事長の定年延長(Twitterで250万件を超えるステイホームデモとなった)、極め付けは、もはや伝説となった星野源とのコラボ動画だ

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僕がこの国へ大きな疑問を抱いているのは、その施策そのものというよりも「今それを社会に出して社会がどう反発するか」ということを全く理解できていない、その判断をしてしまう体制に対してだ。そして同時に思った。

なるほど、"この国には「クリエイティブディレクター」が不在なのだ"と。

クリエイティブディレクターという仕事は、多くの人にとってあまり馴染みない仕事かもしれない。一般的に、クリエイティブディレクターは広告の職種の一つだ。例えば広告のプロジェクトには、コピーライター、デザイナー、CMプランナー、アートディレクターなどがいて、それらの全ての総指揮をとるのがクリエイティブディレクターだ。(以下CDと書く)

文字通り「ディレクター」なので方向(ディレクション)を指し示すことにある。それは言い換えれば「ビジョン(思想や意味)」を明確化し、具現化することだ。今、あらゆる組織はこのビジョンを失っている。意味を生み出し、語れる人は驚くほど少ない。リーダーのビジョンを汲み取り、または提案し、それを正しい形で表現することがCDの大切な仕事になる。方向性を決めることはそれほど大事なことだ。目指す方向を間違えれば、どんなに優れた武器も技も役にはたたない。

CDの仕事は、そのような大局の方向性を決めることから、細部の「クリエイティブ」を見ることも含まれており、本来、全ての制作物はCDの目を通ってから世にでるべき、が前提となっている。

言うまでもなく、それらを高次元で行うのはとても難しい。社会全体の把握、課題の明確な理解、美の追求とステークホルダーへの説得力、反対があっても貫ける強い意志とリーダーシップ。それらを持ち合わせて初めてCDとなれる。正直に言って、自分はまだCDを名乗る資格ないと思っており、基本的には名乗らないようにしている。

社長の横に、アートディレクターを。政治家の横に、クリエイティブディレクターを。

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2010年「社長の横に、アートディレクターを」というコピーは、ソフトバンクの犬のお父さんや「そうだ 京都、行こう」のキャンペーンを生み出した佐々木宏さんが書いたものだ。この言葉が世にでたとき、僕は深くうなずいた。しかし今、「全ての首長(経営者や政治家)の横に、クリエイティブディレクターを導入すべきだ」と強く提言したい。それは「1企業1CD制」を当たり前にすることだ。

それがこのコロナ禍で僕が考えた、シンプルな提案だ。織田信長の横に「利休」がいた、ということには大きな意味があったはずだ(山口周さんも「利休は世界初のCDだった」と述べている)。安倍総理がちゃんと耳を傾けるようなCDが隣にいたら、あの動画は絶対に生まれたなかっただろう。

この国にCDという職能に関しての認知も知見も足りていなかったし、CDという仕事の地位がまったく確立されていないことの証明となるような動画だった。そうでなければ、アレが生まれるはずはなかったのだ。

クリエイティブディレクターと言う仕事を解放する

しかしこの提言を実現するためには大きく2つの側面からアプローチする必要がある。

課題1. あらゆる首長/組織側の意識を変えること
課題2. クリエイティブ・ディレクターの意識を変えること 

あらゆる首長はいちど想像してほしいと思う。自分の相談役として、クリエイティブディレクターが常に横にいる状態を。自分のビジョンを明確化し、それを表現するプロフェッショナルが常にいる状態を。CBO(Chief Branding Officer)などがわかりやすい役職かもしれない。

現状は二つ目の課題のほう難しいと思っている。その理由は2つあって、①現存するCDが「広告界」に集中しすぎている ②そもそもCDの数が圧倒的に少ない という2つだ。

僕は強く思うのだけど、CDはもう「広告をつくる」仕事で留まっている場合じゃない。もっともっとひろい社会にでていってほしい。答えのない混沌としているこの世界で、Direction(方向を指し示すこと)の重要性は高まるばかりだ。そして同時に、旧来型の「ザ・広告」の価値は下がっていく。これまでの広告は計画的すぎた。3ヶ月先の状況を考えてプランニングなどできない時代がやってくる。リーダーの隣に座り、「明日、SNSでこう発信すべきです」という即時性が強く求められていく。

そして、CDの絶対数が全く足りていない。GO三浦さん曰く、日本にクリエイティブディレクターは500人ほどしかいないとか(ほんとかどうかは知らないが、とにかく少ない)。だから、広告業界に属している多くのクリエイティブディレクターの意識が変わることとは別に、「広告業界以外の業界からクリエイティブディレクターが増えて行く」ということも大切だと思っている。別にCDは、広告界が独占するべき職能でもない(中でも「編集者」とCDはかなり近い職能だと個人的には捉えている)。

arcaの辻愛沙子が、news zeroに出るときに「クリエイティブディレクターの辻愛沙子」として出演することには、僕はとても大きな意味を感じている。多くの人が「クリエイティブディレクター」という仕事を知ることになるし、まだ若い辻が名乗っていることですでに業界を変革していると考えている。


長くなってしまったので、最後にもう一度まとめさせてほしい。

この国にはもっと多くの、より多様な「クリエイティブディレクター」が必要だと思う。あらゆる自治体や政府、経営者や政治家、あらゆる組織・リーダーの近くにクリエイティブディレクターを配置すること。それがこの国を社会をよりよくする近道になる。

しかしながら、組織側に意識がなければ、CD側にもまだまだ足りていない。CDという仕事の認識も地位も、もっと変革していくべきだと思う。もっともっと経営者や政治といった「社会を動かす基点」の部分にコミットする仕事になっていってほしいと切実に願っている。

最後に、日本のデザイン界を牽引してきた原研哉さんの言葉を引用して終わろうと思う。

世界は美意識で競い合ってこそ豊かになる。

政治家や経営者はより美意識を磨き、クリエイティブディレクターはより社会の仕組み(経済やテクノロジー)を理解しなくてはならない。政治家や経営者とCDがもっと近づき、高い次元で融合していくことがより求められていく。

これから先の日本社会の豊かさは、そこにかかっている。そこにクリエイティブディレクターという仕事のあり方が大きく関わっていくことになる。と僕は信じている。

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