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自分に何ができるのか

社会の一員として

よく子どもの頃に大人が話していたのを聞いていた
「社会の歯車として責任を果たす」「一人前の大人として責任のある行動を」
好きな言葉ではないけれど「責任」という言葉に少し惹かれる
そんな子ども時代を過ぎて、まだ「責任」という意味を
本当に理解していないと常々思う
責任とは取るものなのか取らされるものなのか
それとも
これからの行動で示すものなのか
その前の行動を反省するものなのか
本当に難しいと考え出すと尽きない

まだ自分は大人ではないと感じることがある
心の奥に大人と言われる人たちのように責任を果たせているだろうかと
傍若無人に自己中で行動はしていないし
わがままを通そうと無理矢理に誰かを動かそうともしない
だけど
心の器は小さいし
自分の知識も技術も自制も拙い
それをわかった上で自分のことは自分で決めたいと
常に思ってしまう
それが組織や社会にいても
思ってしまう

やはり私はまだまだ45歳の子どもなのだろう

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明日くる朝日に何を想う

やはり45歳というのは無理のきかない年齢なのだと思い知る
体の変調は35歳ごろから始まった
腰が弱くなり痛めることも多くなったし
食生活も微妙に変わってきた
おそらく35歳を過ぎた人たちは共感できるかもしれないが
できることとできないことが
目の前に残酷なほど突きつけられる
それは
子どもの頃に夢見ていた何でも出来る!という思いを
粉々に打ち砕いて現実へと引き戻す

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