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何かにイエスと言うことは、何かにノーと言うこと。

あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ。と、今ほど、忙しさに囚われている時代は、他にはないのではないだろうか。


ネット、スマホ、AIなど、私たちの生活をより便利に、より豊かにしてくれるツールがどんどん登場する一方、その実、私たちはより時間に追われる一方になっている。


手元にはスマホ。映画を見ることもできれば、食事を頼んだり、タクシーを呼んだり、人によっては、スマホでずっと仕事をしている場合もある(ワーカーホリックだ!)。


便利になればなるほど、できることが増え、時間を持て余し、結果として(自ら)忙しくなる(する)という矛盾した人々の行動は興味深いものがある。


まわりを見渡せば、個人で仕事をはじめてみたり、SNSをがんばってみたり、必死にAIの勉強をしていたり(そういう人ほど、自分自身の豊かさを心から願っている・・。)。


特に、新しく仕事をはじめてみた日には、”一生かけてのスキルアップ”がつきまとうし、”他者との関係性”も生まれてくるわけで、潔くやめるのにも、一際エネルギーがいる。


・・・となると、ますます”何もしない”ことがベストな選択なのではないかと思ったり。


いや、しかしそう言うと、それは怠けすぎだとか、やる気のない人間という評価を受けがちだけれど、”物は言いよう”で、この”何もしない”を僕は、『重要なことだけを選択する』と、置き換えて理解している。


例えば、いま世間の関心は(特に我々仕事人は…)、ChatGPTに集まっているが、GPTをイチから習得して使いこなすには、まだまだ時間も労力もかかる。


それなりの専門分野であれば、そこまでの苦労にはならないだろうけど。


『誰でも使える』という謳い文句で、一般公開された時点で、そもそも、自分よりも知識もスキルもある方々もその攻略に乗り出すわけで、そこと戦っていくのはとてもハードな戦いではないだろうか。


性格が悪いのか賢いのかは、置いておいてある程度、実用性が生まれた時に、先達の知恵も借りて、上手に取り入れることができた方がゼロからはじめるよりかは、素人の自分にとってはよほどいいという選択だ。


話が逸れてきたので、本題に戻すと、いまそれを自分がやる必要があるのか。つまり、重要なテーマなのかを常に自問する必要がある。


というのも、”何かをやる”ということは、”何かをやらない”ということと同じであり、何かにイエスと言うことは、何かにノーと言うことと同じなのだ。


そして、本当に考慮すべきことは、二つ返事でイエスと言ったがために、本当に重要な問題を取り逃してしまうことである。


逆に言えば、本来は、私たちは本当に重要な問題にイエスと言うために、ノーを言い続けなければならないのだ。それが、上司からの頼みであっても、親からの頼みであっても、親しい友人からの頼みであっても、”断固として断る”


便利ないまだからこそ、いまもっとも必要なのは、断る勇気かもしれない。


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