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私の昭和歌謡46 二人の世界 1971

脱サラもふたりの愛があればこそ父の想いを知ったのは今


昭和はテレビドラマの時代だ。TBSの木下恵介アワー、スポンサー日産一社。すごいね。

1970年のドラマは山田太一脚本の「二人の世界」。
テーマソングは、あおい輝彦の同名曲。

竹脇無我と栗原小巻が、一目惚れで結婚して、サラリーマンの家庭で幸せに暮らすはずが、脱サラしてスナックを経営する、昭和っぽいドラマだった。

あおい輝彦は、この夫婦の奥さんの弟役だった(かな?)

目がくりっとしたあおい輝彦は人気者だった。元ジャニーズから、ソロ、そして俳優という道を歩み始めたばかり。

今大騒ぎしているジャニーズ事務所事件は、この時もほとんどの日本人は「ウッソー、ホント!、マ、イイカ。タレントだもん」のような感覚で知っていた。

ジャニー喜多川が、テレビ出演まで牛耳っていたことは、私がファンになったDA PUMPに意地悪した時に知った。

今更しゃしゃり出て大騒ぎしている人は、金儲けの匂いがするからだろう。


タレントは、ファンに、生きていくための希望をくれる。明るい気持ちにさせてくれる。それでよかった。

子供の頃「私歌手になる」と言ったら、祖父母や父に叱られた。「とんでもない!あんなものは水商売と同じだよ。真面目に毎日働くのが日本人だ。」

歌手はいかがわしくて日本人じゃない?とんでもない言い方だ。でも、昭和の普通の家庭ではそうだった。

いいや。私にとっての歌手やタレントは、違う。

大きな瞳。晴れやかな笑顔。優しい歌声。それだけあれば、あとはどんなだろうと“推しの子”だ。

あおい輝彦は、米国の占領を終えて10年。そろそろ日本独自のエンタメが出てもいい頃にあらわれたアイドルタレントだった。

🎵二人の世界があーるかーら だーから明日にかーけるんだ🎵
の部分では、いつも一緒に歌った。

今、ジャニーズタレントが次々、ジャニー喜多川の性加害を暴露している。

私は、あおい輝彦が暴露するのが一番納得するだろう、と思う。でも、私はオススメしない。彼には妻も子も孫もいるから。

戦地から引き上げてきた家族が、思い出したくもない性被害を語るだろうか?それぞれの人生は続いている。墓場まで持っていく秘密はあるんだ。

さて、歌の話に戻ろう。

私が大好きなのは「あなただけを」
これ毎夏聞いてるくらい、大好き。あおい輝彦さんの歌声も、今の人みたいに作ってなくて、自然で、伸びやかで最高。

曲も心地よい歌詞とメロディー。なんてったってガロの大野さんの歌詞と、猫の常富さんの作曲だからかな。

私の20歳のヒット曲。人生は始まったばかりだった。

次の年に父が亡くなった。


【参考資料】


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