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私の昭和歌謡57  関白宣言 1979

雨宿り関白宣言失脚と日本の愛のかたちをうたう


私の主人は、19歳で同級生と “呼び屋”を立ちあげて、地域のホールにタレントを呼んでいた。

さだまさしは呼んだことがない。彼は自前のさだ企画だったので、少々面倒だったのだ。当時はプロモーション活動なのだ。

オペラ3万円チケットなのに、コンサートは三千円。
満員だとしてもコンサートは儲からない。これが結論だ。

さて、主人は、さだまさしが嫌いだ。歌い方とトークがつまらない、と言う。ま、そう言う人もいて仕方ない。

でも「関白宣言」が売れて、テレビでしょっちゅう歌っていた時期、聞きながら笑っていたのを知っている。知っているぞ!私は。

数年前、女性の人権だとかが騒がれだして、今では女性は上級国民扱いされているらしい。

主人はすぐに「はいはい。わかりました。私は二級国民ですから。いやうちは愛犬が二級で、私は三級です。」とすねる。

それでも、私は先には寝るが先には起きるし、めしはほぼ上手く作る。きれいかどうかはわからない。でも身綺麗だと思うし、今まで黙って主人についてきた。

私は父を早くに亡くしている。結婚してから3人の親を看取った。姑も小姑も私よりよくできた人物だったので、賢くこなす必要もなくこともなく過ごせた。ありがたい。

ただ。人の陰口というか噂というか、愚痴はよくしゃべった。しまいに、主人は聞いているふりを開発して、「ふーん」「ああ、そう」「まーねー」を交互に言って誤魔化していた。

浮気はわからない。主人が死んで愛人が現れなければ、していないことにしよう。現れたら、面倒見ないといけない。だから、今から大変なことは考えない。

幸福は二人で育てるものと、心から思う。体験して思う。だから当時、この言葉を歌ったさだまさしは偉いと思う。

私は、主人が死んだのに生きていたくない。でも、主人の方がもっと、悲しいだろう。(と思うことにしている)だから、主人より長生きすると決めている。

そして、主人が愛する女は、私だけただ一人だと思っている。私が愛する男が主人だけだからだ。

これが、見合いから恋愛になった昭和後期の夫婦のかたちなのだ。だから、この歌を「ウッソー、いやー、考えられない、こんな男」とか言う女はパッパラパーだ。

関白宣言、という題名で気づかない、おバカな女たちだ。

もう関白という、担ぎ上げられなくてはその役職が成り立たないものを曲名にしているってことは、男は威張っていても気弱な生き物だってわからなくちゃいけない。

最後に。
さだまさしのコンサートは、もう若い頃のトークの面白さもないし、滑舌も悪いから、あのやわらかな高音も聞けない。

主人は、じじいが、まだやってるのか、聞いちゃいられん。と厳しい。自分だってじじいのくせにww

ライブでは、サビの部分でお客さんが手拍子をするのだが、この時代から日本人も、エイトビートの2・4拍でする。手拍子も変わったなぁと感慨深い。

関白宣言は、特別な夫婦の物語じゃない。多くの昭和の夫婦の物語なのだ。



【参考資料】



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