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私の昭和歌謡82 俺ら東京さ行ぐだ 1984

青森のシンガーソングライターは関西弁を凌ぐ人気度


【辰年の歌手特集 吉幾三】

1月は辰年の歌手を特集しています。

🎵 テレビもねぇ ラジオもねぇ 車もそれほど走ってねぇ🎵
驚いたなんてもんじゃなかったwww

🎵おぃら こんな村いやだー・・・東京へ出るだ🎵
それで、東京へ出て何をするんだ?というと・・・
銭こぁ貯めで
1番 東京で牛飼うだ。えっ!w
2番 東京で馬車引くだ。ぎょえ。
3番 銀座に山買うだ。ひょえーーー・・・・

オチがあって、訛ってるラップって、楽しい歌聞かせてくれるのはいいけど、こんなのがヒット曲で流行する日本て素敵。最高!

1984年には、もう、私は憧れの歌謡曲少女ではない。
だから音楽全般を興味深く受け止めることができた。

だから、さまざまなジャンルや他国の文化を許容できる日本の歌謡曲って、なんて奥深いんだと、感動した。(吉幾三に感動したんじゃない)

吉幾三は、ずっと忘れていた。たまに何かのBGMで、この曲が流れたりすることはあっても、全く関心もなかった。

彼の父親は昭和天皇の午前で民謡を聞かせたこともあるという。吉幾三さんは、父親を超えることはできない、と言っている。

彼の訛りラップは、音程もリズムもすごくいい。父親譲りなんだろう。

最近、吉幾三さんは、政治家に文句を言う動画をあげている。まったく、自分を棚に上げて文句を言う酔っ払いのような姿が、昭和っぽくてチャーミングだ。

言ってる内容は無責任だが、そんなことはいい。明るく吠える老人がいいのだ。

昭和歌謡の歌手たちは、高齢になったり、亡くなったりしている。元気な姿が露出するだけで、昭和人の私は元気になるんだ。




【参考資料】



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