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私の昭和歌謡20 恋の季節

コーラスが歌詞を重ねる気持ちよさキラーズパートも続けて歌う


ピンキーとキラーズは、大柄な女の子今陽子がメインボーカル、男性4人がコーラスの、山高帽にステッキがトレードマークのちょい異色の売り出し方だった。

あとで、ソロじゃ売れないのでプロモーションとして、こんなアイデアを活かしたらしい。

1968年、デビュー曲「恋の季節」歌ったピンキー(今陽子)は17歳の若さだった。ピチピチしていて、ガリガリしていなくて、声もボリュームタップリだった。

学校で合唱するときのお手本のような、気持ちがいいくらい、しっかり喉が見えるくらい口を大きく開けて歌うのが印象的だった。

若いからか、技巧的にこねくり回したところがないし、爽やかだった。四人のキラーズが守ってるって感じが好印象だったのかもしれない。

歌の始まり🎵忘れられないのー🎵が、感情的なメロディーでテンションが上がる。そしてすぐ🎵あの人が好きよ🎵は中音で落ち着いて、次の🎵青いシャつきてさ 海を見てたの🎵は低音でつぶやく。

いずみたくさんは上手だねぇww

イントロが低音でシンコペが効いてるのも、Aメロの始まりを目立たせてる。編曲も抜群だ。

でも、このAメロの際立つ歌詞は、「青いシャツ着てさ」の「さ」なんだなぁ。それで主人公が子供っぽくて若い、ピンキーにぴったりな物語になっている。

岩谷時子さんは、やっぱりすごいww

田舎の海辺町では、同世代の若者は、みんなグンゼの白いランニングだから、青いシャツなんか着て海を見てるのは、都会っぽい”よそもの”だ。で、そいつにナンパされて恋してる気分になった少女がいる。

「私の恋は 空を染めて 燃えたよ」で、ふと思う。次の「夜明けのコーヒー 二人で飲もうと」だから、これは朝焼けだ。太平洋の物語だ。

昭和の歌詞は短い。リフレインが多い。その短い歌詞を、聞くたび、歌うたびに、自分で膨らませるからいいんだ。

だから、私は最近の長ったらしくごちゃごちゃしている歌詞を受容することができない。

大家族だった私の家の夕飯作りは、歌が暗黙の素材だった。

祖母と叔母たちと歌いながら準備する。私は歌詞がわからなくなった時のために(もちろん私のためでは無い)天井のすぐ下に、歌詞を紙に書いて貼り付けていた。

どんどん増えて、最後は、叔母が独立していなくなってからも、歌詞だけが残っていた。

そのうち父母と妹と私の四人で住むようになってからは、母が専業主婦的になって、私は食事を作らなくなった。そして歌わなくなってしまった。

久しぶりに「恋の季節」を歌うと、私はしっかりキラーズの歌詞を繰り返す部分も歌っていた。音程も正しく。

でも、もっと驚くことに、ピンキーは健在なのだ。71歳のピンキーは、無伴奏でしみじみと🎵わすれられないのーー🎵と歌う。

現在のダンディーなピンキーにも、当時を知っているみなさんはうっとりするはず。こんな年寄りになりたいものだわ。



【参考資料】


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