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私の昭和歌謡19  アンコ椿は恋の花 1964 

大島の三原山から噴き出す煙一万人の島外避難

1986年(昭和61年)三原山が大噴火した。不思議なことに三原人神社が残ったことや、オカルト人影(後で逃げ遅れた民間カメラマンと判明)が撮影されたことなど、大変な騒ぎだった。

小学生の私は、授業ではなく、「アンコ椿は恋の花」で大島と三原山を認知していたから、どこで何があったかはすぐわかった。

一ヶ月の避難後に、最初に島に戻ったのがパチンコ屋であること。苦しい時こそ娯楽は大事だということも、身に沁みて覚えた。

さて、都はるみの歌は、今でこそ上手だなぁと思う。当時は聞くだけだった。伸ばすところに、おもしろい唸り声とこぶしを入れるので、一緒に歌うのが好きな私も、それを聞いてしまうのだった。

🎵船がーー🎵 の、伸ばす部分、🎵あなたは遠い🎵の短い”あ”の部分、そして私が感動してるのは🎵あんこー🎵の”ん”なのだ。

”ん”を歌うって日本だけのような気がする。でも、その”ん”にがなり声がかけれる人はほとんどいないだろう。

はるみちゃんの仮声帯技能は高度だ。普通は大声で高音だと出しやすいのだが、普通に混ぜている。見事だ。

私はこの歌は一度も歌ってない。この記事を書くために無伴奏で歌ってみたら、全ての歌詞も覚えていて最後まで歌えた。でも、はるみちゃんのように歌うのはできない。それが特徴なんだろう。

ところが「好きになった人」が出たーー。これは難しい技巧もなく、響く高音なだけの歌だったから、一緒に歌えた。子供だから、はるみちゃんの高音も無理なく出せた。

不思議なことに、今になって思い出すのは、どちらかといえば「アンコ椿」の方だ。あの喉の使い方が新鮮だったんだろう。

今はやっているAdoも、きっと喉の使い方を面白いくらい駆使して、表現しているだと思う。

年寄りの昭和人は言う!
今に始まった技巧ではなく昭和歌謡が全ての源なんだ、って。それ程、歌唱も伴奏も編曲もプロモーションも、日本の芸能は独特だ。







【参考資料】


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