私の昭和歌謡47 愛は不死鳥 1970
稀にみるディーヴォの歌に酔いしれる昭和歌謡のダイヤモンドよ
1970年の紅白歌合戦は、感動のパフォーマンスがあった。
布施明の「愛は不死鳥」
今見ると、学芸会のようだけれど、それはアニメーションだって同じだと思う。その時代のできる限りの工夫のパフォーマンスは、心を打つ。
🎵 ごらん 不死鳥 愛は あ、あ、不死鳥
愛は 愛は 永遠にー 死ななーい 🎵
この時、テレビの画面いっぱいに、布施明があげた腕には、不死鳥の翼が広がった。
この衣装は、西城秀樹など、他のタレントも真似したいほどのインパクトだったんだろう。腕に布を下げるタイプの衣装が流行った。
昔はYouTubeなんかないから、一度限りの場面を見て、歌を聴いて、感動した全ては、自分の記憶にしまわれる。思い出すたびに変化して、思い出す時代にあった映像が付け加わってしまう。
でも、歌詞のように、歌声だけは「死なない」
この曲は、平尾昌晃の作曲。以前書いたように、布施明のヒットを生んだのは、平尾さんが自分の曲「おもいで」を布施さんに譲ったから。
その平尾さん、またまたwww
結核で療養してカムバックのリサイタルで歌うために作ったのに、高音が出ないために、布施さんに譲ることになった。
エピソードは後付けかもしれない。
確かに、平尾昌晃は若い頃は自分が歌手として売り出そうとしていた。ルックスも声も抜群だ。でも、布施明というずば抜けた才能と出会って、引いたんだと思う。それで、作曲をしてみたら、案外そちらの才能に目覚めたんだろう。布施さんのおかげで、「瀬戸の花嫁」があるってワケさw
「Way of the Maestro」AKIRA FUSE
10年前のCDを聴く。この1枚は傑作。
マエストロ。その通り。カンツォーネが得意な昭和歌謡の歌手が行き着いたのは、ジャンルを超えた日本の誇る歌謡曲の集大成がある。
このCDは「MY WAY」のあと、ショパンの別れの曲で終える。
あらあら、一度歌手人生をしめくくっちゃったのでは?
布施明は75歳。まだまだ活躍中。どうしようww目が離せない。
【参考資料】
【前回の記事】
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