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スペキュラティヴ・デザインとDreaming

※このnoteは武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科クリエイティブリーダシップコースの「クリエイティブリーダシップ特論」という、クリエイティブの力をビジネス・社会に活用しているゲスト講師の方々による講義のレポートです。


4/19の講義では、東大→IBM→パーソンズ美術大学というキャリアを歩まれ、現在はNYに在住しつつDesignerや大学教員としてご活躍されている岩渕正樹さんにスペキュラティブデザインや現在の活動についてのお話を伺いました。

岩渕正樹さん
HP: https://www.masakiiwabuchi.me
note: https://note.com/iwabm


このnoteでは岩渕さんのお話の中から印象的だったことについて書いていきます。




そもそもスペキュラティブデザインとは

スペキュラティヴ・デザインは “speculative: 思索的な” という単語の通り、「問題提起型」のデザインを意味するそうです。
一般的にイメージされる“デザイン”は現状の問題を解決したり、目標やニーズを叶えることが目的となっているのに対し、スペキュラティヴ・デザインでは起こり得る世界をかたちにし、問題提起をして考えさせることを目的としています。

「スペキュラティブ」とは日本語で「思索する・推測する」という意味で、「スペキュラティブデザイン」と言うと「(未来)投機的なデザイン」と訳されることが多いです。例えば資本主義のような現代社会の現実とは別の、オルタナティブな未来の世界観を提示し、人々により良い未来を考えさせるのがスペキュラティブデザインです。
(引用:https://goworkship.com/magazine/iwabuchi-speculative-design/)


下の図は通称PPPP図と呼ばれる潜在的な未来を表した図です。起こりそう(Probable)な未来、Plausible(起こってもおかしくない)な未来、Possible(起こりうる)な未来があり、スペキュラティヴ・デザインはこのPossibleな未来を扱っているそうです。Probableな未来やPlausibleな未来は現状の延長で想像することができるため、それ以上に発想が広がりにくいのに対し、Possibleな未来をスペキュラティヴ・デザインが提示することにより、人々に想像、そして検討をさせることを可能にします。

このPossibleな未来の枠を超えると空想の世界になります。“魔法の世界“など実現不可能な領域を考えることで発想が広がることもあると思いますが、それらはデザイン・フィクションなどと呼ばれる領域で行われていることであり、スペキュラティヴ・デザインはあくまで本物の科学に基づくなどして“現実しうる“領域にとどまっているそうです。


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PPPP図
引用:Speculative Everything: Design, Fiction, and Social Dreaming より(illustration by Dunne &Raby)



“夢”が“希望”に成り下がっている?

スペキュラティヴ・デザインの提唱者であるアンソニー・ダンさんと、フィオナ・レイビーさんが執筆した「Speculative Everything: Design, Fiction, and Social Dreaming 」には“Social  Dreaming“というワードが入っています。
(ちなみに邦題には“Social Dreaming“というワードは無いらしいです、、、!またまた余談ですが元々“Social Dreaming“とは、眠る時にみる“夢“を他人に共有することで自分の潜在意識を観察していくという心理学のアプローチが元になっている言葉らしいです🙃。)


この本の冒頭でこのような一節があります。

It is hard to say what today's dreams are; it seems they have been downgraded to hopes—hope that we will not allow ourselves to become extinct, hope that we can feed the starving, hope that there will be room for us all on this tiny planet. There are no more visions. We don't know how to fix the planet and ensure our survival. We are just hopeful.

(引用:Anthony Dunne and Fiona Raby(2013)『Speculative Everything: Design, Fiction, and Social Dreaming』 )


今日、我々の“夢“は「こうあったらいいな」ではなく、「こうなりませんように。。。」という悲観的な未来を回避する“希望”に成り下がってしまったということが書かれていました。

そう言われてみるとパッと思い浮かぶ私の「こうだったらいいな」は問題ありきだな....とハッとさせられました。もっと言うと、「絶対にこうなってほしい!!!」というような強い“夢“は持っていないなと.....  

岩渕さんはDreamこそが未来を描くヒントになるのではないか、という風におっしゃっていました。船や橋ができたのも「向こう側に行ってみたい!」と思った人がいたからで、飛行機ができたのも「空を飛んでみたい」と思った人がいたからで、このような〇〇したい!という純粋な気持ちからイノベーションが生まれてくるのではないかというお話にとても納得しました。
そしてDreamをただの“夢“で終わらせないために、“共脳”・“学祭的共同体”と言うキーワードが出てきました。

誰かが描いたDreamを実現可能にするために、様々な分野の人が領域を超えて集まった“学祭的共同体“で考えていくことで個人に足りない観点を補っていく。そんな様子を“共脳“と表現されていてとても面白いなと思いました。

そしてそんなふうに考えていくときにプロトタイプが大事であるともおっしゃっていました。最近、別の授業の中でサービスデザインを考えるグループワークがあるのですが、言葉で中々共通認識が取れないこともプロトタイプが一つあるだけで共通認識に変わったり、プロトタイプにすることで問題点が見えてきたりとプロトタイプの重要性をすごく体感しています。
「プロトタイプがあるからこそ色々な人が議論に参加できる」、とおっしゃっていてつくることの大切さを改めて認識しました。


スペキュラティヴ・デザインとアートの違いは?

QAタイムの時に、「スペキュラティヴ・デザインとアートとの違いは何か」というような質問がありました。人それぞれの答えがあるとは思いますが、岩渕さんは「スペキュラティヴ・デザインは最後は“人“に戻ってくる」という風に表現されていました。問題を提起して作品を見た人に考えさせる、何かを感じてもらうようなところまでは同じでも、「考えてください」で終わりではなく、ではどうするか、までの答えを出すところまで機能させている、という風に私は解釈しました。
起こりうるPossibleな選択肢だからこそ、自分自身に近いところで、肌感やリアリティを持って思考を巡らせることができるのかな、そんなことを感じました。



最後に

このコロナ禍に人生で初めて漫画・アニメに手を出し、見事にハマってしまっているのですが、何が面白いって「こんな世界だったらこの社会はどうなるのか?私ならどうするか?」と考えることが楽しいのです。
スペキュラティブデザインは“空想“や“フィクション“ではなく、科学的にも“起こりうる”世界を提示しているという点では違いはありますが、「もし〇〇だったら」と考えを巡らせていくことは同じだなと思いました。つまりスペキュラティヴ・デザインめっちゃ面白いと思いました!笑
まだ全然理解できていないのでもっと学びたいし作品を直で見てみたいです。


2021.4.25  こっぺ

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