見出し画像

人の目盛りは可視化できないなって話

特段、すごいオチがあるわけでもないし、何か学びがあるわけでもない。ただ最近バクっと思っていることのひとつ。

ソーシャルでは人の共感って得られやすいという話を聞く。共感が得られやすいというか同じようなことを思っている考えている人が見つかるっていう方が正しい気がする。

とは言っても、人の考えなんて千差万別だから、そうそう合致するものでもない。特に自分の体験に基づく話は。
でも、やはり多くの人が体験するような話は、その母数が大きいので合致する数も多いと思う。割合ではなく、絶対数。人は1万も合致する人がいると多い!と感じてしまうけれど、それを該当する母数で割り戻すと1%以下になることなんてザラにある。

でも、人はあまり割合では考えず、絶対数で考えてしまう。2000もRTされた!1万いいね!されたとか。たまにTwitterのフォロワーを人だと勘違いしている人がいるけど、あれは人数ではなく、アカウント数。なので、1万フォロワーを1万人と考えるのは間違っている。

本題に戻す。

例えば、仕事に対する経験とか成果とかの話は、苦労話とか上司・日本企業に対する不満は共感する人が多い印象がある。

例えば、大雑把に1~10の事項に対する経験の度合いをAとBでグラフ化してみる。若干の違いがあるけど、AとBの経験は非常に合致しているように見える。

画像1

でも、この経験の度合いはそれぞれによる自己認識に過ぎない。Bは思う。俺の経験はAさんと非常によく似ている、と。まあ、それはそれでいい。自己評価なんてそんなものだ。

でも、非常にも見えなかった目盛りを見えるようにしてみると、

画像2

目盛りの絶対値が全く違う。方や6万で、方や80である。2軸でグラフを作っているから波形は凄く似ているように見える。まあ、相関係数も高く出るだろう。波形だから。相関係数は動きの連動性をみているので、絶対値は関係ない。

もちろん、同一の目盛りで見れば、

画像3

こうなってしまうのだけれど。

これはBが悪いとかおかしいとか間違っているという話ではない。自分の体験、経験はその人も本人のものである。

ソーシャルをまくらに使ったが、こんな話はいくらでもある。リアルな仕事だってそうだ。同じような経験があるという人に仕事をお願いしてみたら、すごく経験不足だったなんて話は吐いて捨てるほどある。

人の目盛りは人それぞれで、それを可視化することは難しい。可視化する必要なんて普通はないが、ソーシャルで共感を呼んでいる体験・経験話って、蓋を開けてみれば、全然違うなんてことはたくさんあるんだろうなぁと通勤電車に揺られながら思うことがある。


サポートを頂けると大変ありがたいですが、頂けなくても問題ありません。基本的にしょーもないことしか書けませんが、温かい目でみて頂ければ嬉しいです。