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MMAの夜明け前

先のUFCでヒクソングレイシーの次男クロングレイシーが鮮烈な金網デビューを果たしました。アスリート然とした近代MMAの中で、ともすれば枯れた技術で相手を制圧した試合を観て色んな思いが込み上げてきて泣きそうになりました。

※賢者感、達人感が半端ないクロンさんです。

そこで突然ですが…

中井祐樹先生をご存知ですか?

最近格闘技を見始めた方は「解説の人」と言うイメージがあるかも知れません。

元修斗ウェルター級王者で、今を煌めく浅倉カンナ選手や扇久保選手が所属するパラエストラを創設(始めに出来たのは東京支部で二人の所属は松戸)した方ですし、青木真也選手や北岡悟選手もパラエストラから巣だった選手と言えばとっかかりになるかもしれません。
そして何よりこの方こそ

日本におけるMMAの礎を築いた一人でもあるのです。

MMAに興味を持ってくれた方に、一度、是非とも観て頂きたい試合があります。

中井祐樹VSジェラルドゴルドー

※この人がゴルドーですが、とても堅気の人には見えません…

この試合は1995年のヴァーリトゥードジャパンのトーナメント一回戦で行われました。時代背景はアメリカでUFCが生まれたのが93年、日本では同じ年に生まれた初代K- 1がブームになりかけている頃で、PRIDE誕生までは2年待たなければなりません。

大会名にあるヴァーリトゥードと言うのはポルトガル語で「何でもあり」を意味し、今で言うMMAはこう呼ばれていました。とはいえルールの整備も不十分、今のMMAとはかけ離れたもので、とても競技と呼べるようなものでは無く、この試合はそれを象徴するものであったと思います。

①階級?何それ
当時の中井先生は170㎝70㎏程度、対するゴルドーは198㎝100㎏。実に30㎏の体重差。那須川天心VSメイウェザーどころの差では有りません。しかし当時はこれでも当たり前の事として行われていたのですから恐ろしい話です。

②反則も厭わない
結論から言います。「ゴルドーの執拗な目潰しにより中井先生は右目を失明しました」立ち技の得意なゴルドーは不利なポジションになるとロープを掴むなどは当たり前、平然と選手生命を奪うような事をやってのけたのです。

③観る側のリテラシーの低さ
生まれて間もない競技ですから仕方の無い部分ですが信じられない事に当時の観客には体格差をものともせず勇敢に闘う小さな戦士・中井祐樹に向けて野次が飛ばす人も居たのです。
「ホモかお前ら!」…耳を疑いたくなります。
プロレスとリアルファイトの区別も付かない当時の観客にはさぞかし退屈なものに映ったのでしょうし、ゴルドーは既に名のある選手でしたから彼の派手で凄惨なファイトに期待していたファンも居たのかもしれません。

そして肝心の試合結果はというと
なんと、4Rヒールホールドにより中井祐樹勝利!

体重差30㎏、ロープを掴まれテイクダウンも出来ず、目潰しをされても尚…です。

更にこれはトーナメントです。二回戦も棄権すること無く腕ひしぎ十字固めで勝利を重ね、決勝に進むと相手は…

あのヒクソングレイシーだったのです。
体重差は15㎏、しかも伝説の格闘家ヒクソングレイシー。何度も言いますが右目は失明しています。しかし中井先生は棄権すること無く闘い切りました。残念ながら最後はチョークスリーパーで破れてしまいましたが、これ以上何を望む事がありましょうか。

更にこの話には続きがあります。
中井先生は失明が原因で総合格闘技は引退(現役生活はたったの2年)、柔術に専念される訳ですが、この失明の話は当時の先生の口から公にされることはありませんでした。

せっかく芽生え始めた格闘技の芽。「格闘技は野蛮で危険だ!」そんなネガティブな印象を与えたくない。そういった強い思いで口を閉ざしたのだそうです。

当時を振り替えって「若気の至り」の一言で済ます中井先生はやっぱりかっこいいです。

僕だってリアルタイムで見れた訳では無いですし、偉そうに昔話をするつもりもありませんが、MMAの夜明け前、このような試行錯誤の中で世間と闘いながら、薄皮のように己の強さとジャンルの信頼を積み重ね証明していった戦士達の話を少しでも知って頂けたら幸いです。

クロンの試合を観たらそんな思いが込み上げて来ました。

※興味を持って頂けたら関連書籍も出て居ますので一読下さい。

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