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違和感の正体は。 第5回


日本に帰ってきた。
今回は約3ヶ月の一時帰国。


ほぼ1年ぶりの日本。
まず1番初めに感じたのは、丁寧。本当に丁寧。

サービスの丁寧さに衝撃を受ける。
真面目で、一生懸命で。
素敵だなあと感じる。すごいなあと感じる。



違和感を受け始めたのは2日後?3日後?くらいからだ。

ギャップがある。違和感がある。
でもそれがなんだかが言語化できない。
なんだろう、これは。

全てが、普通なのだ。
枠にしっかりとおさまっている。

もちろん、一人一人生き方、感じ方は違う。自分の想像なんて遥かに超えてくるほどに。

それでも、何かが違う。
一言で言うと、飽きてしまった。


誰かに何かを言われた訳ではない。それでも、正しいとされることから外れることへの若干のピリつき。
枠から外れることに対して、その空気感に雑音が混じる。

住みやすいけど生きにくい、とはよく言ったもんだなと思う。


間違えてはいけないという意識。
いわゆる教科書的なお手本。
大切だよな、とは思う。

でも、とっぱらった時に、うわあっていう感動があること、まだ見ぬ景色があることを信じたい。
違うということを間違いだと判断するのではなくて。

合っているか合っていないか、正しいか正しくないかは、自分の好みとは別問題だということは忘れたくない、いや忘れてはいけないなと思う。
逆に本質から離れてしまう時もあるから。
本当に大事なことはなんだ?自分が心動くものはなんなんだ??
大切なのは自分の好みでしょう?
ちゃんと向き合っていきたい。

私は、
パリに住んでいるライター川村明子さんの
「外れがあるから、当たりに当たった時に喜びが増す。外れがない世界は色々なことに鈍感になると思うんだよな」という言葉が好きだ。


the day you start living another country,you're no longer tourist or travelar but you’re not a native either.
you become something in-between your old life and your new one , and it doesnt matter how long you go for or if you come back.
you'll always be part of collective who've lived this unique experience and know all to well,the feeling of belonging and not really belinging of living within the in-between
and knowing that both feeling homesick and at home,comfort and the unknown can exsist at the same time

この言葉を見たときに泣きたくなった。伝わってほしいと思った。届いて欲しいと思った。
誰も分からないよなと思った。

誰かと違うことをするのは気力がいるのだ。分かってくれよ。でもそれでもやりたいの。
凄くなんてないのだ。分かってくれよ。やりたいことをやっているだけだから。
ああ、分かって欲しいという感情はよくない。それは分かってる。



感情に蓋をしたくない。しっかりと感じたい。今のこの感情を、悪くはないのだと思いたい。

new oneになりたい自分は間違っていないのだと、ちゃんと応援して寄り添ってあげたいんだよ。