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砂肝みたいの出てますけど

【たまちゃんファミリーの訳あり編】

早朝の千葉・大原周辺の国道は、漁港で働くおばちゃん達の軽自動車か、釣り人やサーファーの県外ナンバーしか走ってない。国道128号線に出れば病院へは5分で到着できるはずだ。

「あにき、ヤバい。痛くて気が遠くなりそうだ」 

助手席のシートにウェットスーツのまま横たわり必死に痛みをこらえる弟のゲン。後部座席に座るゲンの彼女「洋子ちゃん」は横から手を出し大丈夫よと頭をしきりに撫でている。

「救急車なんか呼ぶと、ヘタすりゃ勝浦までつれてかれるからよぉ」と言う地元のサーファーに対処してもらえそうな近くの病院を教えてもらい、ぼくとゲン、彼女の洋子ちゃんの三人は車でそこを目指していた。

アドバイスされた通り、駅に向かう路地を左に曲がり、パナソニックの看板を掲げる電気屋さんをまた左に曲がると、目的地らしき病院の佇まいが姿を現した。平屋の洋館風情が漂う個人病院のようだ。大きなけやきの古木が道路まで迫り出して医院の看板を一部遮っていたが「外科」という文字は確認できた。

駐車場に車をすべり込ませると、ちょうどそのタイミングでハンチングを冠った長身のおじさんが、ゴルフバッグをセドリックのトランクに載せようとしているところだった。一瞥してこの病院の先生だと分かったが休診日のゴルフに出発間際か。予期せぬ客であるぼくらを怪訝そうに見渡した。モツ煮込みを食べ過ぎた翌朝のようなむくんだ顔をしてたが、俳優の杉浦直樹似のハンサムおじさんだ。

「すみません、急患なんですが診ていただけませんか」

「んーっ、どうしたの?」

「日在荘の前で波乗りしてたんですが、こいつ怪我しちゃったみたいで」

そう伝えて助手席に横たわるゲンを指差すと、トランクに載せようとしていたゴルフバックを一度地面に置き、必死に押さえ続けていたゲンの「股間」に充てがった血染めのタオルをめくり覗き込んだ。 

うわっ。

思わず出た感嘆符。半歩後ずさりしてそう叫ぶとササーッと顔色が変わってこう言った。こりゃあ痛いでしょー。そしてこう付け加えた。

「砂肝みたいの出てますけど」

驚愕した先生は急ぎ足で病院の玄関から中に向かって「中山さーん、大変だぞぉ。急患、急患。処置するぞー」と大声で叫んだ。ハンチングを脱いだ杉浦直樹は意外にも9 : 1 分けの髪型ではなく、スキンヘッドだった。

砂肝みたいの出てますよと医者から告げられたゲンは、その言葉のイメージでほとんど失神しかけていた。彼女の洋子ちゃんは、私もそう思ってたけど言っちゃいけないと我慢してたとぼくに耳打ちした。

その日は、ぼくと弟のゲンと彼女の洋子ちゃんの三人で久しぶりに波乗りに出かけたのだった。 ゲンは元々硬派なヤンキー風情の高校生だったが、大学に進学と同時にぼくの影響でサーファーへの転身を図り始め、毛先にアイパーのちりちりが残ってはいたが頑張って波乗り小僧スタイルに変身中。しかし残念な事に数ヶ月前、海に向かう途中で大きな交通事故を起こし、ペナルティで車も乗れず海にも行けないという謹慎状態が続いていた。そしてこの日は、数日前にその事故の示談が成立したということで波乗り解禁。めでたい日のはずだった。

この日の千葉・大原の「日在ポイント」は地形が決まったグラッシーな三角波に弱いオフショアが当たり、サイズも手頃な絶好のコンディション。潮が引き始めるとファーストブレイクでは綺麗に巻いてバレルも楽しめた。波乗りに詳しくない方、まぁ良い波だったってことね。ぼくは岸から100メートルくらい沖のポイントに出て、顔見知りの仲間たちと波待ちしていたが、初心者のゲンはもっぱら岸に近いところで練習を繰り返していた。

事件は入水して三十分ほどして起きた。

「玉井くん、浜で誰か呼んでるみたいですよ」一本波を乗り終えて、沖に戻ってくると後輩のひとりがそう言った。ほら、ゲンさんの彼女が呼んでませんか?おにぃちゃーんって大声で叫んでますぜ。浜に目を這わせると確かに洋子ちゃんが大声で呼んでいるようだった。大きく手招きのジェスチャーも見える。急いで波に身を任せ浜に戻ると、洋子ちゃんの横でゲンが砂浜に仰向けになっていた。駆け寄るや否やこう言った。

「やばい、アニキ。ボードが股間に刺さった」

コケた拍子にボードのフィンに股間を強く打ちつけたようだ。「マジかよ。ちょっと手ぇどけろ」 両手で股間を押さえていたゲンの手をどけると、ウェットスーツのその部分がざっくりとフィンで切り裂かれているのがわかった。押さえているゲンの手は真っ赤に血で染まっている。ウェットスーツが脱げる状況でもないと判断して、ぼくは力ずくでウェッ トのその部分をさらに大きく引き裂いた。

「ゲン、どっちのかんじだ、打ったのはチンチンか、タマか」

「たぶん、タマ」どーなってるか見てくれと懇願するゲン。同じ男として大変な状況に陥っているのはわかる。そうはいっても、潰れているかもしれない股間のタマタマを見るのは気が引ける。しかも医者じゃないぼくが見てどうなる。ましてやからきし血に弱い。こっちが気を失いそうだ。

「おい、よーこ、お前ちょっと見てやれよ」

ぼくは洋子ちゃんに大役を押し付けた。 

「ゲン、手ぇどけて」ちょっとぽっちゃり体型な洋子ちゃんだけど実際に太っ腹で肝も座っている。臆することなくゲンの股間を覗き込み「よくわからないけど、怪我してるみたい」とボケる。どうなってる、ねぇ、どうなった?としつこく怪我の状況を描写させたがるゲン。お前も聞いてどうするっていうんだ。そんなことより早く病院で処置してもうことが先だ。

そこへ、入水準備でストレッチしていた地元のサーファーがゲンの怪我に気づいて話しかけてきた。「いれば親身に治療してくれるから救急車なんて呼ばないですぐに行ってみたほうがいい」と近くの病院についてアドバイスしてくれた。善は急げ。もうひとりの漁師風情の地元サーファーのにいちゃんが手伝ってくれ、一緒にゲンを担ぎ駐車場の車まで運んだ。「日曜だけどよ、先生たぶんいるっぺ」というにいちゃんに道順を教わり、件の病院へ搬送することとなったというわけだ。

話は病院に戻る。

ゲンを負ぶったぼくは診察室の奥にある治療室と思しき部屋に誘導された。ゴルフウェアーの上から白衣を羽織ったスキンヘッドの杉浦直樹先生は、ウェットを全部脱がせるようにと言い、さて、どうする かなぁとつぶやいた。「おーそうか、ちょうどいい」そう言って真っ裸になったゲンに、これに乗れるかいといって、カーテンの裏にあった馴染みのないちょっと変わった治療台を指差した。

分娩台だ。

そう、この医院は「外科・産婦人科」を診療項目として看板に掲げていたが産婦人科がメインの病院だったのだ。外の看板は「外科」のあとに続く「産婦人科」の部分がちょうど古木に隠れていて、ぼくらには分からなかったのだ。

「患部があそこだから、ちょうどいい塩梅だなぁ」中山さんと呼ばれた看護師にそう言うと、先生は自分のアイデアに少し悦に入ったかんじのドヤ顔をした。ぼくは不謹慎にも中山さんはちょっと美人だし先生の愛人じゃないかな、なんて思っていた。さて始めるか、という先生の言葉に部屋を出て行くべきかどうか迷っていると、珍しいから見て行くかいと言って、分娩台の両サイドから突き出ている部分にゲンの両足を乗せながら先生は笑った。「外に出てあげたら?」と美人の中山看護士に促されてぼくと洋子ちゃんは廊下に出た。ドアの上には確かに「分娩室」と印刷されたプレートがあった。

廊下では入院中の数人の妊婦たちが騒動に気づいて集まってきて、お腹を摩りながら様子を伺っ ている。「どうしたの?」とひとりの妊婦が洋子ちゃんに話しかけた。 「サーフィンしてて、砂肝みたいの出ちゃったんです」と言う説明にキョトン顔の妊婦。ぼくが事の顛末を説明すると、妊婦たちはクスッと笑い、シビアな男の非常事態を理解しようとはせず、中にはぷっと吹き出す妊婦もいた。「砂肝だってさぁ」「へぇ~、砂肝みたいなの?」「ぃやだぁ、もう砂肝食べれなーい」もう、話題は砂肝でもちきりだ。

三十分ほどで処置は完了した。「じゃっ、中山さん、あとはよろしく頼みますね」と杉浦直樹先生が廊下に出てきた。「ありがとうございました」と頭を下げるぼくと洋子ちゃん。

 「いやぁー、レアケースですな。見事にパカァーと左の睾丸の皮が切れてましたが、中身そのものには幸い損傷も無かったので、押し込んで縫合しておきましたから」と、怪我の状況と処置について説明する先生。げっ、押し込んで?どうやら砂肝は無事だったようだ。「弟さん『そんなとこに麻酔打って問題ないんでしょうか』ってしつこく言うから、もしかしたらダメ かもよって脅かしときましたよ。ふっふっふっ」砂肝で完全に弄んでいる杉浦直樹だ。「今日は仲間内のコンペでね、まだ間に合いそうだから失礼しますよ。お大事に」と、ゴルフスィングのまねをして廊下にいた妊婦の一人に今日は生まないでよーと声をかけ、それじゃぁ中山さんあとは頼むからねーと言い駐車場へ小走りで向かった。

一息つく間もなく、分娩室の中から玉井さぁーん、お兄さーん中に入ってきてーと中山さんの声がし た。分娩室に入ると、ゲンはまだ「恥ずかしめの状態」で固定されていた。なんだかものすごく可笑しくて吹き出すぼくと洋子ちゃん。「よーこ、おまえは出て行けよ」処置が終わって強気になるゲン。わかるわかる、その気持ち。

「お兄さん、ここ、どうしたら良いかしら」美人の中山さんは、ガーゼが充てがわれた処置後の患部をどう保護するか迷っているようだ。つまりここに包帯を巻くべきか否か分からないということだった。そのアイデアを求めているんだろうけど、さすがのぼくにもその経験は無いしそもそも専門家でもない。

「テープで止めとくんじゃダメなんですか?」

「そう思ったんだけど、伸び縮みの具合がわからないから・・・」「今は打撲もあるから腫れているしね」そうかぁ、湿布も必要なのか。プロである看護士が素人に処置方法を聞いてどうするなんて思ったが、こんな特殊患部への処置についての臨床など習ったことすらなかったに違いない。困り続ける中山さん。

が、もっと困っていたのはゲンだ。

麻酔で痛みは無いにせよ、恥ずかしめの状態がキープされてる上に、被害の無かったオチン○ンは丸出しの放置プレーが続いているのだ。

「あにき、もう何でもいいからパンツくらい履かせてくれよ」 哀願するゲン。そうだよな、中山さんも見知らぬ男のオチン○ンんを見続けてるわけだしな。ぼくは自分のを見られてるかんじを想像してちょっとゾクッとした。

「あっ、そうよ、それっ」すると中山さん、何かが閃いたようだ。

「妊婦が履く紙パンツがあるのよ。あれで軽く固定する具合でちょうど良いと思うわ」 怪我の功名。めでたくゲンの処置方針が決定して、おパンツを装着して終了となった。中山さんも納得の表情。

その後、杉浦直樹先生の奥様と思しき女性が会計窓口を開け、処方してもらった抗生剤と湿布薬をいただき清算をしているとそこへ 中山さんが再び現れた。ありがとうございましたと頭を下げお礼を告げるゲンに向かってこう言った。

「先生はおっしゃらなかったけど、来週また来てね」

えっ、またキン◯マ見せるのかよとゲンが思わず呟く。

「東京で別の病院に行って抜糸してもらっても構わないけど、違う人に見せるのイヤでしょ?お兄さんどうせ来週波乗りに来るんだったら弟さん乗せてきてあげてね」 

そりゃそうだなぁ。と、ゲンは合点がいったようだ。

そしてぼくらは、中山さんに見送られて帰ることにした。車まで負ぶって行くかと聞くと歩けるという。 ゲンはボテっとした紙パンツを装着してるのでジャージさえも履けない。赤ちゃんプレーの様相のまま大股開きの中腰で歩くゲン。まるで年老いたゴリラか、入門したての新弟子相撲取りみたいだ。右手と右足が一緒に出て、50センチづつしか前へ進めない。ここはもう笑うしか無い。

「あーあ、ほんとおれツイてないなぁ」帰りの車中でゲンは弱気になっていた。

確かにゲンと千葉の海は相性が悪い。海に向かう道中で正面衝突の大事故。熱りが冷めたと思いきや、ちぎれそうになる砂肝。そして来週はまた、恥ずかしめの天誅が下る。 果たして海の神はこれでお許しになるのか?

「あにき、おれもう千葉で波乗りするのやめようかな」ゲン、もうこれ以降の仕打ちは無いと思うぞ。と、激励したが説得力はまったくない。車中には重い空気が漂っていた。ここはアニキとしてムードを変えねばならん。

ゲン、ここで一句できたぞ。

「中山に また見せてと 股見せる」

どーだ。

洋子ちゃんは、座布団十枚あげるーと下町のおばさん調で馬鹿笑い。ゲンは「よーこ、おめー大笑いしてんじゃねーよ」と言い、ちょっとホッとした表情をして、「なんだかなー」と呟きボテっとした紙パンツのお股をさすった。 





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