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【コラム】アクセサリーなんて必要?

「もうこの歳になると、アクセサリーなんて全然買わないし、つけたりしないなぁ。欲しいとも思わなくなってしまったし・・」

こんなネックレス見つけたんだー、ヴィンテージ見つけたんだ!と興奮して話していると、私はよく年齢の近い友人達にこう言われる。

時々、自分が幼いのか?とも思う。私は今でも、自分のアンテナにひっかかるアクセサリーを見ると興奮し、とことんデザインをみまくり、このアクセサリーに合う服を考えたりする。そしてその感動を誰かに伝えたくなってしまう。最後は、お小遣いの中からどうやってそのアクセサリーを買おうかと必死で考える。

仕事に行くときに必ずアクセサリーを身に着ける私にとって、アクセサリーは無くてはならないものになっているが、本当にアクセサリーは生きていく上に必要なものなのだろうか。

正直、生きていく上でアクセサリーは「必要なものではない」と思う。アクセサリーではお腹が一杯にならない。

では、何故私はそれほどまで、アクセサリーを必要に思っているのだろうか。(こうやってコラムをつけるほどまでに・・・)

多分私は、アクセサリーが与えてくれる「感動」が好きなのだと思う。その感動とは、”アクセサリー1つで、ファッションのイメージが変わる”というものだ。

例えば、首元に赤いコーラルでできたチョーカーをつけると、色の白い顔がちょっぴり愛らしく見えたりだとか、少し年齢を感じさせる腕がファッションを台無しにしそうな時、バングルをつけるときれいにみえるとか、そんな小さな感動である。

時には、自分のつけているアクセサリーで人と会話が始まったりもする。アクセサリー1つで会話が弾む。それも1つの感動である。

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生きていく上で、感動、はとても大事なものと考えている。感動は、私達の心を豊かにし、希望を持たせ、そして何かをやろうという活力になる。だから私たちは、映画を見たり、旅行にいったり、本を読んだり、感動を覚えることを意識的に行っている。

また日々の小さな感動を積み重ねていくのも、毎日を充実に生きていくための活力になると思う。その為に人はお花を買っていけたり、旬の食べ物を美味しくいただいたり、中にはお掃除や整頓に夢中になり、きれいになった充実感、感動を味わったりする。

きっと私にとって、アクセサリーはそんな感動を毎日覚えさせてくれる1つなのだと思う。故に、生きていく上で私にとっては大事なアイテムなのである。









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