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「何」にもなれない私

「何か」になりたい私がたどりついた先は
「何」にもなれない私だった。


やりたいことはどんどんでてくるが、これと言って抜けきらないのだ。
私=○○ という肩書き探しにずっと囚われていた。


知人からある曲をいただくまでは。



一昨年くらいからずっと、モヤモヤしていた。
いろいろやり切った感があり、もう今やっていること(弾き語りなど)も潮時かなとも思ったくらいだ。

去年のある日。久しぶりにお会いした知人に思わぬ言葉をもらった。
「○○(私)さんに曲作ったら歌ってくれる?」
突然だったにも関わらず私の答えは、イエスだった。

曲をいただくのは、この時がはじめてではない。
たまたま飲みの席で知人たちに軽く「ご陽気な曲作ってくださいよ〜」と言ったのがきっかけで、いただいた曲がある。本人の意思とは違うところのご縁やタイミングは、いつも突然だと思うのだ。

今回はまったく違った雰囲気の曲。

歌詞は、まるで私が書いたようだった。ほとんど会話をしたことがなかったのになんで?と鳥肌がたったくらいだ。でもそれを読んで、自分はそういう思いにいると、改めて認識した部分もあった。

そして曲のコードには、私の好きなCM7(シーメジャーセブンス)が入っていた。



昔、知人に話したことも思い出す。

「みなさんには「俳優」「シンガーソングライター」とか肩書きがあるじゃないですか。私は一体何なんでしょう」と相談したことがある。裏をかえせば何をしてもそれなりであり、ずば抜けることもない。そこで悩んでいた。
だけど、私の場合はそれは必要ないことだった。


「○○(私の名前)は○○や。あなたには肩書きなんてどうでもいい」
そう言われた。



ずば抜けることが目的ではない。
「私」という生き方そのものがもう、ブランドなのである。やりたいと思うことを誰かと共有して楽しんでいることに意味があったのだ。


「私」は「私」。
自分の心をもっと自由にわがままにしてあげたいと思う。




もう得体のしれない「何か」になろうとは思わないだろう。


この曲を新たな原点として
また新しい場所へと旅立つ気分。


みなさまも
何かにそっと「さよなら」して新しい場所へと旅立ってみませんか?



さよなら


肩を落として歩いた帰り道 
黒く重い雲が追いかけてくる

排気と混じる雨のにおいに 
懐かしい苦しさを 胸の中覚える

何かになりかった ずっと 
型にはまれない 自分が怖くて


さよならしよう この場所から 
さよならしよう 今ここから



湿気を帯びた 泥みたいな心が 
足取りを重く 重くしている

どこにも行けなかった いつも 
持っていく荷物ばかり気にして


さよならしよう 今すぐに 
何にもなれない 私は私だから

さよならすれば きっと行ける
重たい雲が ひらけた その先