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#4 侮れない根性論と限界を超えた先で得た達成感。


ここ最近の数日間で、ニュージーランドでは外の気温がしっかりと冷えてきて本格的な冬の到来を感じています。

クラブラグビーのシーズンは終盤を迎え、疲労などによる選手の怪我も多発してチーム力というものが試されるようになってきた中、ニュージーランド全土の多くの地域では負ければ終わりのプレーオフトーナメントへと突入していき、僕のチームが属している地域でも7月6日の土曜日からトーナメント戦が始まりました。
今回の投稿は、そんなトーナメント第1戦の様子と共に試合の中で感じたことを振り返りながら綴っていこうと思います。


試合前の焦り。

このプレーオフ1回戦の対戦チームは1週間前のリーグ最終戦でも相手したチームでした。
同じチームと二週連続での対戦ということもあってお互いに手の内はバレバレ。加えて自分のチーム側では主力選手を中心に負傷などの理由により6人も欠けていたので前回の試合ほど簡単な展開にはならず、かなりタフな試合展開になることは個人的に予想していました。しかしチーム全体の雰囲気としてはその “危機感” が共有されていたわけでもなく、中には前回の対戦で圧勝できたから今回も勝てるだろうといった “慢心的なムード” を漂わせるような選手もいたりして、どういう立ち位置でチームに貢献するべきかをとても悩んで焦っていました。


先制点。

試合が開始されてから長い時間はお互いに拮抗していて、チャンスの予感と最後まで決めきれなくて上手くいかないもどかしさとの狭間で徐々に苛立ちを覚え始める選手が出始めて少しずつプレーの質が低下してきた中、先制点を取って試合展開を動かしたのは相手チームの方でした。

0-3。
僕個人的には “たかがキック1本の3点だけ” という感覚だったことに加え、肉弾戦を得意とするパワー系の相手チームが “フィジカルで制圧することを避けてきた” と感じて勝機を見出していたのですが、きっとその時の味方選手たちの多くは僕の感覚とは違っており、 “我慢比べに負けた” ような雰囲気に包まれていて自然と目線も下がってしまい、明らかに静まり始めていました。
その光景を目の当たりにしたことで、この試合における僕自身の役割や存在価値は “チーム全体のモチベーターになること” だと確信しました。


フラストレーション。

0-3で先制点を取られた直後から積極的にチームメイトへの声掛けと鼓舞することを続け、そこからはなんとかチームの士気が落ちることもなく再び我慢比べのような試合展開が続く中、小さなチャンスを味方選手の全員が見逃さず果敢に攻めてトライを獲得、その後のキックも成功。

7-3。
この逆転を機にチームをさらに勢いづけたかったのだけれど、常にピリついた緊張感と危機感に包まれた雰囲気を醸し出すプレーオフトーナメントの独特な状況も相まって、なかなか自分たちのペースを掴み切ることもできず、さらには審判員との認識の食い違いから生じる反則やプレーの中断なども起こり始め、どんどん熱くなって試合に夢中になればなるほどペースが乱れ続けてフラストレーションが溜まっていくという状態に陥ってしまいました。
そんな状況を感じてはいたものの、この時にそれを改善するためにチーム全体を冷静にさせようとすることの方がかえって小さなミスなどに対して敏感になり積極性を失いかねないと思い、ハードで厳しい試合展開になってしまうだろうと予想と覚悟をした上で、荒々しくなったとしても最後まで熱量で相手に勝り続けるべきだと信じてチームに働きかけるようにしました。
集中力と熱量は途切れることがなかったにしてもフラストレーションが溜まり続けた中、相手チームにじわじわと攻め込まれ続けてしまった結果、トライとその後のキックまでをも許してしまい、点数は7-10。
逆転され返されて再度リードを奪われたタイミングで前半が終了。


ハーフタイム

自分たちにとっては好ましくないタイミングと流れで前半を終えてしまい、チームトークの最中にはキャプテンまでもが審判員の批判を口にしてかなり良くない雰囲気になりつつありました。正直なところ僕自身も納得出来なかった点も多々あったので不満をぶつけたい気持ちは山々でしたが、モチベーターとしての役割を考えてどういう声掛けが一番適してるのかをずっと考えてました。
「どんなレフリングを下されても俺たちが審判を変えることは出来ない。だからどんなジャッジをされたとしても、自分たちが正しいと信じるプレーを試合が終わる最後まで絶対に続けよう。」
何が正解だったかは分からないし、その時の僕もかなり熱くなりすぎていたとは思うけど、考え悩むことを放棄して最終的には一番伝えたかったことをチームの全員にぶつけました。


ひたすら耐え続けた残り20分。

後半が始まってからの内容は前半よりもオフサイドの反則がかなり多くなって、外から見ていた人からするとさらに荒っぽく見えたかもしれない状況でしたが、フィールド内の直接的な体感としては確実に積極性がかなり増していてチーム全体的にミスを恐れない雰囲気が出来上がっていました。
そうした状況が続いた結果、なんとか取れたトライで5点を追加。

12-10。
だけれど必死に勝とうとしてたのは相手も同じ。
試合時間残り20分からは、相手チームの素晴らしい集中力と彼等の強みを思い出したかのような強靭なフィジカルを利用した猛攻で、僕たちのチームは残り時間のほとんどをフィールド真ん中のセンターラインから自陣側で守備を強いられてました。
試合時間残り15分頃には自身の右太ももは攣り続けて呼吸もかなり乱れていましたが、きつくなればなるほどチームメイトに声を掛けてはとにかく鼓舞し続けることでキツいと思う感情を脳から消そうとしていました。今考えるとその時の行動や熱量は、人が八つ当たりをする時の感覚にも近いような気がします。
そして試合時間残り3分。とにかく耐えに耐え続けて守り抜いた結果奪い返せたボールを積極的に回したことで決定点となるトライを取って5点の追加。この試合中は最後までモチベーターとしての役割を全うする為に、誰よりもほんの小さな可能性にも敏感になろうと意識し続けていたのですが、最後のダメ押しトライは予想にもしていませんでした。
そこまで繋げ切った味方選手たちの集中力とまだまだ秘めていたポテンシャルにも気付けたことは次戦への期待と楽しみを感じたと同時に、信じ続けて良かったという安堵と誇りも感じました。

試合結果は17-10で勝利。準々決勝を突破することができました。


抑えきれなかった感情と達成感。

両脚の至る所が攣り始めたり過呼吸も起こしてしまったり。試合終了のホイッスルが鳴った時、僕の肉体はもうすでに限界を超えていたように感じました。
技術や戦術の要素もあるかもしれないけれどこの試合は “気合いで勝ち切った” と確信を得たのと同時に、試合が終わって無意識のうちに冷静さを取り戻そうとしていたのか、試合中の興奮具合と目の前に広がる試合後の落ち着いた光景とのギャップによってなのかは分かりませんが、悔しいわけでもつらいわけでも無く嬉し泣きにしては多過ぎるほどの涙が溢れて出て来てとても不思議な感覚でした。
自分で全くコントロールできないほどの感情ではありましたが、これが限界を超えた先にある “達成感” という言葉のイメージにも収まりきらないほどの、一種の大きな幸福感なのかなとも考えてみたり。
ただこの感情は人生のうちでもそう多く感じる機会が無くて稀な経験のような気もするので、また一つ良い財産を得ることができたなと。



これはあくまでも僕個人の感覚ではあるけれど、ここ最近の世間では “根性論” に対しての風当たりが年々強くなっているように感じる。
確かに、他者から強要される根性に関しては意味もなく苦痛でしかないことがほとんどかもしれないけれど、自ら気付いてそのメンタル的な要素を意識できるようになると、勝負事では大きな武器にもなり、目標や夢を叶えるためのブースト的な役割にも繋がってくれたりすると思う。
とはいえこれもまた、人それぞれの性格によることでもあるので合う合わないもあるだろうけど、少なくとも自分には合っていたみたい。
可能性を知れば知るほどなかなか侮れない根性論でした。

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