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アンチと正義と理解者


Twitterを見ているとよく目にするのが

人と人との意見のすれ違いだ。

私は大体それに混じろうとも思わなければ、
そう言う意見もあって、ここら辺でこの人達は食い違ってんのかな?と1人分析している方が好きである。

それをドライだ。と言われればそうかも知れない。


最初に働いたコンビニの同期に

「よこみちさんは腹の中で何考えてるか分からない」
と言われた事があった。
この人とは別に仲が悪いわけじゃない。

ただ彼女はとてもストレートにものを言ってくれる人で、私は思ってる事をほぼ言葉にしない人なだけの事だ。

これを言われた当時の私は
(あまりこの人とは仲良くなれないかな?)
と思ったのを覚えている。

だがそれは
違ってくる。

だんだんと月日が経ち同僚が辞める中、
彼女は後々、
そのコンビニ1番の良きリーダーとなり、私と共に古株となる。
私はその人が忙しくて出来ない事をサポートする
2番目のポジションになるのだ。
ここで知っておいて欲しいのだが、この時もめちゃくちゃ仲良いわけではない。円滑に仕事が出来るパートナーと言えばいいか‥

それから二年後だったか、深夜のバイト中突然誘われることになる。

「今日これから泊まりに来ない?」

「え。お泊まり道具何も無いですよ?」

「いいよ、そのまま来なよ。ちょっと遠いけど実家なの」

陽キャだ。


これが世で言う陽キャってやつだ。すげえ。
(偏見だ。)

自称陰キャの私は少し考えてから了承した。




缶酎ハイを何本か空にしてから、彼女は静かに語ってきた。

「まさか‥よこみちさんとこうなるとはなぁ‥」

全くだ。

「私たちって性格反対だよね〜」

それも同感だ。
しかしなぜだろう、悪くない。

そしてなぜか、

私の周りにいるタイプってのは
結構ズバズバものを言える人が多い。
正直1番苦手なのに、私が静かに去ろうがお構い無しでケロッと目の前に立ち塞がるのだ(笑)

だから私も 

ヴッッ!!!?


って心臓にくる言葉が飛んできても、心臓から矢を抜いてポイっと捨てることを覚えた。
‥一応感謝しておこうか。


そして、苦手なタイプであるのに
なぜその友人たちと付き合っていられるのだろうかと考えはじめて、
わかった事がある。

陰と陽

これだ。

私を太陽と月で例えるなら
自分はだろうと思っている。

なるほど、羨ましいのか‥
そうなりたいんだろうな、私も。
カッコいいって思ってる自分がいたとは驚きだ。


長い友人ってのはお互いに 

好き‼︎ 

だけじゃ務まらない。

学生の頃、親友とは何でも分かり合える素晴らしいもんだ!と誰かが言っていて、

そう言うもんだと思っていたものだが。

長い友人と20年超えの付き合いをして、
出した結論は

既読スルーしても許し合える仲

だと思う。

SNSに限った話では無いし、
勿論仕事であれば既読スルーしたら切られるから、あくまで友人枠での話だ。


そもそもこまめに連絡取り合っていた仲だが、付き合いが長くなるにつれ既読スルーに何も感じなくなった。
だが、次会ったらケロッとお互いできるのである。

これが意図せず自然と起こる許し合いだ。

(学生時代に描いたハルヒの絵↑)



さて、ようやく話を戻せる。


SNSにいる人は皆それぞれ違うタイプを持っている。
ポケモンで言えば、草タイプ、ほのおタイプ、水タイプ、エスパー、その他もろもろ

私は‥私は、かな。

ほんとは ほのおタイプ になりたいけど。

草がほのおに焼かれるのは想像も容易い。

だが草は焼かれて気付ける事もたくさんある。
ほのおは水に消されてようやく気づくだろう。
水は草の役に立てて、存在意義を見つけるかも知れない。

そうやって、
どんどん気づきあって、

アンチ正義理解者
それぞれが場面ごとに
自分の中に
生まれるのではないだろうか。

だから私は私の1番のアンチであり、
正義を振りかざす者であり、
良き理解者である。

そしてそれを認め、存在させてくれる人が

他者

なのだ。



本日はここまで!🐀

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