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命をいただいていることを感じ取る


昨年の夏に友達の誘いに狩猟の現場を見に行かせてもらうことになりました。
 猪と鹿が1頭ずつかかっている2つの現場へ。
 山に入り、それぞれに止めをさす。

 はじめて見る現場だけど、
ニュージーランドでは解体現場に何度か行ったことあるので、
あまりショックはない。
 お腹に氷を詰めて、解体作業所へ移動。
 そこで皮をはぎ、お肉を分けていく。
 お店で売っている、ロースやバラ、もも、などの部位に分けていく作業。
 そこは初めて経験をさせていただきました。 

何かを命をいただいて私たちは生きている

 自分が食べているお肉は、こうして出来上がっているんだ。
 当たり前のことだけど、その当たり前を学ぶ機会は日本にはほとんどない。
 つい先日、お寿司の切り身が泳いでいると思っている子供がいると言う話も聞きました。
 生きているという意味、命をいただいているという意味がわかっていない。 だから、食べ物を平気で粗末にすることが出来る。 

 鹿はお肉としての人気がなく、ほとんどが廃棄処分されていると聞きました。
人が勝手に殺して、廃棄していく。
 だからこそ、このお肉が食卓にも並ぶようになるにはどうすればいいのかを試行錯誤して取り組んでいます。 

 私たちは命の循環を創っていく。
 それが生態系を守ることに繋がるから。

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