見出し画像

大学生を振り返ってみる(大学1年生編)

題名通りこのnoteでは、大学生活を振り返ってみようと思います。
一応理由がありますので、簡単に以下で説明します。
最近ポートフォリオを製作したのですが、製作中に「自分のことがまとまっているプラットフォームみたいなものも作ってみたい」と考えるようになりました。その際に、小学生からの足跡を辿りたくなったため、ポートフォリオの一部分として、このnoteを書いてから、製作物にリンクを貼り付けようという思いに至りました。

実は小中高を振り返ってみた記事もありますので、興味があればぜひご覧ください。

https://note.com/kamachu/n/n25324ae0021b


最初はランディングページのようなペライチだけを作ろうかと思っていたのですが、今では10ページを超えてしまっており、結構てんこ盛りなコンテンツになっています。もしよろしければ以下のリンクから足を運んでみてください。最初のページだけですが、4ヶ国語に対応しています(言語が私の強みでもあるので作ってみました)。

https://kilinsan.studio.design/

noteを書く理由も整理できたところで、早速以下に、自分の話を書いていこうと思います。大学時代は私の人生に大きな変化が起きた期間でした。田舎で小さな世界しか見てなかった私が、大きな世界にでて冒険することになります。当時の私は「井の中の蛙大海を知らず」という感じですね。前置きは置いといて大学生活を振り返って書いていこうと思うのですが、わかりやすいように学年で項目分けをしようと思います。具体的には1年生、2年生、3年生、そして4年生、と言った形で進めていこうと思います。

P.S. 書きはじめてから気がついたのですが、内容が長くなり過ぎてしまったため、学年ごとにべつのnoteを作ろうと思います。

入学前

画像1


高校3年の1月の半ばに行きたい大学に合格できた私は、広島で呑気に遊びながら過ごしていました。サッカー部の友人たちはスポーツの推薦で大学入学を決めたり、理想の大学に合格できたり合格しなかったり、中には浪人を選択する人もたくさんいました。まあこんな感じで遊んでくれる人も同時期に次への進路が決まって行っていたと思います。

2月頃になると大阪に宿先を探しに行きました。当時は一人暮らしがしたくてたまらなかったので、めちゃめちゃ心が踊っていたと思います。幸い大学近くに良い物件を見つけることができたので、3月くらいからそこに住み始めることにしました。


入学

画像2


前回の小中高の記事には書いたのですが、同じ大学に合格した友人がいなかったため、入学当初の友達は0人でした。入学式の日は特にたいしたこともなかったように思います。全く覚えていません。天気は雨だったような気がします。

入学式が終わってからの数日はサークル勧誘がありますよね。関西大学のサークル勧誘は本当にアニメとかドラマで見るようなそれに近いです。めちゃめちゃ賑わっていますし、いろんな人に声をかけられます。私は入学式のときにできた数人の友達と一緒に回っていました。ひとりでいても何人でいても、1日で山のようなチラシを渡されます。大学では英語を頑張ろうと思っていたので、英語が勉強できそうなサークルを探していました。

英語研究部(E.S.S.)を見つけるまでにはそんなに時間がかからなかったと思います。なぜかというと案内パンフレットももらっていたので位置はいつでも把握できたのですが、冊子をみる間も無く「英語」と書かれた看板の文字を見つけることができました。看板を持った先輩に話しかけると、その当時2年生だった先輩がブースまで案内してくれて、ブースで待機していた当時3年生だった人が部活の説明をしてくれました。私は入る気しかなかったので入部したいという希望を伝えていたと思います。

そもそも「なぜ大学で英語を勉強しようと思ったのか」という理由ですが、姉が英語を勉強していたからだと思います。英語を使える人生が楽しそうだったのと、身の回り人間ができているなら私にもできんことはないだろうと思い勉強をすることにしていました。「英語をやっておきなさい」とまわりから言われたり聞いたりしていたことも結構影響していると思います。

あと、サークル活動というものは別に1つに決めなければならないというものではありません。私は英語研究部の他にもフットサルのサークルとバトミントンのサークルに入りました。でもフットサルやバトミントンは半年くらい経ってからすぐ辞めてしまいましたw

E.S.S.

画像3


まあなんやかんやで友達もでき、授業も始まり、楽しい生活が遅れていたと思います。最初はなんでも新鮮で楽しいですし、これと言ってしんどいこともなかったので。いろんなところに顔を出しましたが、私の大学一年生の中心はE.S.S.でした。

E.S.S.について少し説明すると、English Study Societyの頭文字をとって名付けられたものです。各大学にE.S.S.は存在していて場所によっては真ん中のSが「Speaking」だったりします。大学間で大会とかイベント、それを運営するためのコミュニティなんかもあったりして、結構しっかりした部活でした。

関西大学のE.S.S.の活動は主に2種類あって(今は知りません)、ランチ活動とセクション活動というものがあります。ランチ活動では月曜日から金曜日までのお昼にみんなで大教室に集まって、決まったテーマに対してみんなで話し合うというものです。1回生から3回生までごちゃごちゃで活動します。当時の3年生は、英語が上手で面倒見がいい人が多く、教えてもらう分には非常にラッキーでした。

もう一つの活動はセクション活動です。私たち関西大学の E.S.S.にはもともと4つのセクションがあり、スピーチ、ディベート、コミュニケーション、ディスカッション、という風に分かれていました。私は英語が上手な人が当時たくさんいたスピーチのセクションに入ったのですが、この時の選択のおかげで英語も上手になり、一応成績も残すことができて、良い経験になりました。


留学のきっかけ


E.S.S.に英語が上手で気さくな先輩がおり、その人に何気なく「どうやって英語上手になったんですか」と聞くと、「フィリピンに留学しててん」というコテコテの関西弁で答えてくれました。本当はもう忘れましたが、きっとそうでした笑

そういえば姉もフィリピンに留学しており、私の中で語学学習の登竜門を発見した気がしたので、すぐに先輩が留学した学校を聞いて留学をすることにしました。


バイト

画像4


簡単に留学の手続きは済んだのですが、肝心の留学費用が無かったので、バイトを始める決意をしました。でも別に嫌々というわけではなかったです。高校まではずっとサッカーをしていたので、生まれてこのかたバイト経験というものがありませんでした。高校時代にバイトをしている人は少なく、「バイト」ときくとなぜかポジティブなイメージがあったため、この「バイト」なるものを初めてみたいと思うようになりました。

当時は交通費なんかもらえると思っていなかったので、バイト探しの条件は「家から近いところ」の一択でした。ちょうど最寄駅の近くでチェーンの寿司屋がバイト募集しており、ここにしようと決めました。もちろん賄いありの黄色い丸で囲まれた文字も、このバイト先に応募した大きな理由でした。

面接当日、店長と話したのですが、まだ当時30にもなっていない若い方で、勤務されていたバイトリーダーさんも当時23歳と、若いメンバーだらけで構成されていました。無事採用していただき、初めてのバイトをすることになったのですが、キラキラしていた想像とは異なり、バイトは思った以上に大変なものでした。

というのも、市原隼人似のバイトリーダーはしっかりイメージ通り怒鳴ってくるし、お酒を提供する場なのでお客さんも少々めんどくさい方々が来られていました。しかも仕事終わりはみんなでコンビニ前でたむろするというしきたりもあったため、帰宅は毎日1時とかでした。言われるがままシフトを詰め込んだため、仕事を覚えるのは早かったと思いますが、思った以上に肉体的かつ精神的に疲労したのを覚えています。

それでもなぜか私は大学生活=バイトのようなイメージがあり、午前にもスーパーの品出し陳列のバイトをすることにしました。疲労でエナジードリンクやビタミンドリンクを飲むようになったのはこのときからです。朝起きるのはしんどかったものの、誰でもできる仕事でしたし、こちらのバイトリーダーのIさんは心穏やかで優しかったため、特にストレスなく仕事ができました。でもこれは私が運が良かっただけで、店長さんやパートさんはめちゃ怖いし、人いじめるし、なかなか悲惨でした。


留学

画像5


週6でこのような生活をしていたため、フィリピンに行けるくらいの留学日は稼ぐことができ、祖母かもお小遣いをもらったので、結構余裕で留学できました。留学期間はめちゃめちゃ勉強しましたが、とっても楽しかったです。

留学のコースは時間で決められており、私は1日6時間コースを選択しました。最大は8時間だったのですが、先輩がそんなにしなくても話せるようになると言っていたので、その言葉をそっくりそのまま信じて6時間にしました。授業は1コマ/2時間の設定だったので、私は1日3授業でした。ちなみに全てマンツーマン授業をしてくれるところでした。

・アメリカンアクセントトレーニング
・カランメソッド
・ソーシャルディスカッション

という横文字にしたらなんだか強そうな授業名ですが、やることは非常にシンプルで、上から発音、レスポンス速度、スピーキングとリスニングを鍛える授業でした。ちなみにこの構成はめちゃめちゃ良くて、私は合計5週間フィリピンに滞在しましたが、3週間目くらいからはそこそこ英語がはなせるようになっていました。これは私に限ったことではなく、周りの人もそこそこ話せるようになっていたので、フィリピン留学という環境は本当に英語学習の登竜門だったのだと思います。こんな感じで私は英語の基礎をフィリピンで培いました。


留学生活

画像6


よく「留学生活は語学だけじゃない」といいますが、これは体験した人はよくわかると思います。世界が広がる、というのは本当に国外に意思を持ってでてみないとわからないもので、体験ベースで目に焼き付き、体に染み付いていくものです。

私の留学先にはターゲット層というものがありませんでした。強いていうなら日本人です。ですが年齢や性別、バックグラウンドのようなものでいうなら、本当に様々な人がいました。中学生の少女から定年退職したおじいちゃん、職業は美容師やら先生やらサラリーマン/OLと、まあたくさんの人があの土地で英語を学んでいたと思います。

しかも共通の目的がある人たちが、マイノリティの国籍保有者として異国で集まると、まあ仲良くなります。放課後は近くのモールに行って遊んだり、夜は飲んだり、週末は一緒に旅行したりと、非常に楽しい時間が過ごせました。しかもこういう場所で仲良くなるといろいろ人生のこととか生き方について話したくなるのが人間の性分らしく、それぞれの人の生き様や歴史をたくさん聞けたような気がします。もちろん英語の学習が主な目的としてフィリピンに行った私ですが、当時小さい世界でしか生きていなかった私からすれば、常識という概念の堰をはずされたような経験だったのかもしれません。今思い返しても非常に良い時間でした。


フィリピンから留学後

画像7


留学後は部活の中でも少しだけ注目を集めました。短期間の間に起こる知人の変化というものは結構印象的なものらしく、「どうやって英語を勉強したの」とか「本当に上手になった」という言葉は部活の中でたくさん言ってもらえるようになりました。これが成功体験と言うのかもしれませんが、客観的に自分が頑張ったものに対して、欲しい反応がもらえると言うのは、とても光栄なことのように思え、めちゃめちゃ嬉しかったのを覚えています。

留学後は部活動をしたり、バイトをしたり友達と遊んだり、ちょっと彼女ができたりと普通の大学生みたいなことをしていました。それでもやはり英語に対する情熱は結構あったらしく、「今度は英語圏に行って現地人と気さくに会話ができるようになる」と言う目標を立て、オーストラリアにいくことにしました。なぜオーストラリアなのかと言うと、留学費用が比較的に安く収められそうだったこと、メルボルンに行って美味しいコーヒーが飲みたかったことが挙げられます。まあとにかく大学1年生の冬(現地では夏)はオーストラリアで過ごすことにしました。


オーストラリア

画像8


日本人からしても見ると、オーストラリアは「カルチャーショックの国」と呼んでも良いくらい、スローライフが実践されている国だと思います。せかせかしてみようものなら逆に浮いてしまう、そのくらい日常がゆっくりと進んでいるような気がしました。そのくせ別に丁寧なわけでもなく、ただ目の前の楽しさや、喜びに動かされる人たちがとても魅力的に映りました。

メルボルンにいた期間は語学学校に通いつつ、学校が終われば図書館に行って勉強し、夜は友達とバーに行ったり、ホームパーティをしたりする時間を過ごしました。夏だったので外は暑かったのですが、1日が長く感じれて、それはそれで良かったです。

日本人のタトゥーアーティストの方がよくカフェやらご飯やらに連れて行ってくださったので、その時間はとっても楽しかったです。彼が話してくれた人生の話はリアルでドラマチックで、「自分もこんな話詩を聴くのが楽しくなるような人生を歩みたい」と本気で思いました。


カフェ

画像9


メルボルンはカフェが有名な街です。なんならコンビニより多いんじゃないかなって思うくらいたくさんカフェがあります。私は節約のためにセブンイレブンでいつもコーヒーを買っていましたが(セブンのコーヒーですら美味しい)、たまにカフェに連れて行ってもらった時は超美味しいコーヒーを飲んでいました。

一部のカフェは、言語学習者のためにスペースを解放してイベントを開いており、現地の人と私のように外国からやってきた人たちが集まって交流したり会話をしたりできました。ホームパーティなどをしていた友達はそこで知り合った人たちばかりです。コンセプトや雰囲気が非常に好きだったので、自分も言語を勉強したい人たちが楽しく体系的に学べるカフェみたいなものをいつか作れたらいいななんて思っていたりします。


英語

画像10


英語はフィリピンにいたときほどではありませんでしたが格段に伸びたと思います。英語で会話をするときに自分の語学力不足を不都合に思う回数が減りました。ネイティブのようにはなさるようになったわけではありませんでしたが、英語を第二言語として学習した人たちの周りでは、全く気負わず自分の言いたいことを言うことができるレベルまで成長したと思います。


まとめ

以上が大学1年生編でした。
皆さんいかがでしたでしょうか。長かったですね。まあもしご興味があれば他の学年のnoteも読んでみてください。ざっくりどんな内容になるかをここに書きますと、

大学2年生編
https://note.com/kamachu/n/n40cc44c7958b
3年生=インターン、スピーチ大会、海外インターン、東南アジア、国際学生会議
4年生=休学、アオイエ、東山いきいき市民活動センター、スイス
5,6年生=中国留学、就職活動、インターン

のような内容になると思います。もしご興味がある方はぜひ読んでみてください。

ではまた次のnoteで。

この記事が参加している募集

#自己紹介

231,593件

読んでくださってありがとうございました!