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小中高を振り返ってみて

題名通りこのnoteでは、小中高生活や人生を振り返ってみようと思います。
一応理由がありますので、簡単に以下で説明します。
最近ポートフォリオを製作したのですが、製作中に「自分のことがまとまっているプラットフォームみたいなものも作ってみたい」と考えるようになりました。その際に、小学生からの足跡を辿りたくなったため、ポートフォリオの一部分として、このnoteを書いてから、製作物にリンクを貼り付けようという思いに至りました。

最初はランディングページのようなペライチだけを作ろうかと思っていたのですが、今では10ページを超えてしまっており、結構てんこ盛りなコンテンツになっています。もしよろしければ以下のリンクから足を運んでみてください。最初のページだけですが、4ヶ国語に対応しています(言語が私の強みでもあるので作ってみました)。

https://kilinsan.studio.design/

Noteを書く理由も整理できたところで、早速以下に自分の話を書いていこうと思います。小中高の12年間を書いていくとは言っても、昔のことはあんまり覚えていないので、とっても長くなることはないと思います。大学生活についても書こうと考えているのですが、そちらの方が長くなる気がします。内容構成はわかりやすく小学生時代・中学生時代・高校時代の3つに分けて綴っていこうと思います。


- 小学生時代 -


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*上記の写真はまるで私のように見えますが、本人ではありません


転勤族

私は3つの小学校に通いました。俗にいう「転勤族」というやつでした。転勤族の人の中でも西から東へ行ったり来たりされる方々もいらっしゃいますが、私は家は幸い中国地方のなかをコロコロと変わるだけでした。それでも幼い私は、できた友達と「さよなら」をしなければいけない現実をすんなり受け止められなかったらしく、泣き喚いていたそうです。

しかし馴染めていなかったことはなかったように思えます。ドラマとかをみると、転校生は基本的にいじめられるか人気者になるかのどちらかですが、私はどちらでもありませんでしたし、多くの私と同じ経験をしている人がそんな感じなのではないかと思います。みてきた環境や関わってきた人数が普通の人たちと比べて多い私たちのような転勤族は、周りに同調し、相手の気持ちを推し量ろうとする能力が高まり敏感になっているのだと思います。まあそんなこんなで転勤をたくさんする家庭に生まれた子でした。

こんな転勤族生活は私が小学4年生になったと同時に、父が「単身赴任」をするという方法で終わりを告げます。最後の転校でやってきた場所は父の故郷の広島市でした。


田舎
上記でも書きましたが、私は中国地方で育ったので田舎の人間です。通学路が田んぼに囲まれているようなところにもいましたし、遊ぶ時は虫取りなんかもよくしました。人並みにゲームをやったりカードで遊んだりもしていたと思いますが、比較的にアウトドアな子供だったのではないかと思います。今はめっきりインドアですが笑


サッカー
サッカーは小学1年生の時からやっていました。始めた理由は「父親がやっていたスポーツだったから」というありきたりな理由なのですが、思いの外、熱心に取り組んだのではないかと思います。特に小学生の時は学校から帰ってから毎日ボールを蹴っていました。田舎に住んでいたのでサッカーしかすることがなかったのかもしれません。

そう考えると、生活の中心は「サッカーが上手くなるための行動」だったのではないかと思います。朝は5時半に起きて近所の友人と近くの山を往復1時間かけて上り下りし、放課後は隣町のサッカーチームに自転車を漕いで行っていました。サッカーなしに私の小学生時代は語れないと言っても過言ではないほどに、サッカーをしていなかったら自分の小学生時代を語るものがありません。ちなみにポジションはボランチで、チームで副キャプテンでした。背番号は6番でした。


学校
成績は良かったですが、生活態度はたちの悪いガキンチョのそれでした。仲の良かった友人とふざけて、よく怒られていたことを覚えています。具体的にいくつか挙げると、蛇口の線を上に向けて遊び廊下を水浸しにしたり、野球拳をして負けたからパンツで廊下を走り回ったりしていました。人に迷惑をかけたもので言うと、火災報知器を鳴らしたり、喧嘩をして救急車を呼ばれるまで発展したり、いろいろありました。ですがタバコやお酒みたいな遊び方はしませんでしたね。節度のある悪さをしていたと思います。


性格
明るく元気な子だったと思います。たぶん。どんな子供だったかあんまり覚えていませんが、友達もちゃんといましたし、めちゃめちゃ嫌われるようなこともありませんでした。でもあんまりいろんな人とぞっと遊ぶと言うよりは一人でサッカーしたりする方が多かったように思います。



- 中学生時代 - 

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中学校は小学校の隣にあります。しかも家から徒歩2分圏内にあったので毎日投稿は楽でした。遠くに住んでいる友達が、家の前まで来たら決まって「かまー(私の昔のあだ名)」と呼んでくてていたのでそれを合図に出発していました。


クラブチーム
周りの人の影響でサッカーは外部のクラブチームに行くことになりました。そこは市内の人が集まっている場所でよく一緒に練習や試合をしていたメンバーがたくさんいました。各チームで有名だった人もたくさんいたので、最初はメンバーになれるか心配でしたが、ちゃんとスタメンになることができました。この時にできた友人とは、今でも仲がいいです。


卓球部
実は卓球部にも入っていました。学校の部活は別に入る必要がなかったのですが、私のおばあちゃんが卓球をしていたこともあり、卓球をやりたかったので入部しました。そもそも小さい学校だったので、卓球部と野球部しか運動部は選択できなかったのですが。

卓球部ではあんまり真面目ではありませんでした。一つ上の代が真面目にやっている人が多かったので、多分非常に迷惑をかけていたと思います。当の本人対たち(私を含む同級生数人)はそんなことは一切気にせず部活中もしっかり遊んでいました。でもみんなそれなりに上手になったと思います。私も上手です。


オタク
当時はアニメが好きな人をちょっと軽蔑視していたのですが、卓球部の友人に「化物語」というアニメをお勧めされてみてみたら、まあ見事にどっぷりアニメの世界に浸かりました。そのジャンルは多岐に渡ります。ジャンプの有名作品も全部アニメで見ましたし、「これはアニオタがみるやつでしょ」というアニメもまあたくさん見ました。このオタク活動は高校2年生まで続き、その後は結構スパッとやめることになります。


思春期
オタクの活動と同期間に思春期っぽくなりました。こんな子供ならきっと誰でも育てなくないだろうと思いますし、文字図文のような思春期を迎える息子ができるのなら子供なんていらないと思うくらい生意気だったと思います。母親には特に迷惑をかけました。


学校
ほとんどの生徒は小学校から一緒の人だったので、これと言って新しい環境ではありませんでした。ですがいじめたりいじめられたりみたいなことは増えたような気がします。小さな学校だったのでそんなことしかすることがなかったのかもしれません。私もどっち側にもなったように思います。

やはり学校の中にカーストのようなものも存在していて、私が周りの人と上手くいかなくなった時はそのカーストを移動して息をしていました。小さな世界でしたがそんなこともありましたね。でもいじめたりいじめられたりすることってずっとありますが、一過性のものだったので、時間が経てば対象の人が変わっているなんてことが基本でした。全体的には楽しい学校生活を遅れていたのではないかと思います。


性格
今でも自分勝手な性格でしたが、中学の時はもっと自分勝手な性格でした。ですが人間関係のいざこざをいくつか経験したので、空気が多少読めるようになりました。具体的には自分が言った発現の反応の良し悪しが感じ取れたり、人が人に送る嫌悪感とか疎外感を感じ取ることができるようになったと思います。こんなことが大事なのかは知りませんが、ともかく非常に自分勝手にいろいろ言動していた人間からすると多少社会側に強制された部分があった期間だっとように思えます。相変わらず馬鹿なことはしていました。


いじられキャラ
中学校から「いじられキャラ」を確立しました。身辺整理をしたり、自分磨きをするとか、お洒落をするなど微塵も考えがなかったので結構ブサイクでした(いまでも対して変わってないのですが笑)そのくせ反応は結構するので、いじりやすい対象だったので羽はないかと思います。特にクラブチームではいじられ役としてのキャラを確立していました。この移り変わりが今私がツッコミをよくするようになっていたり、コミュニティにおける笑いの大切さを重要視している土台になったのではないかと思っています。


- 高校生時代 - 

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高校は「広島県立広島皆実高校」に入学しました。地元ではセーラー服が可愛くて人気な学校なのですが、私には特に対してメリットはありませんでした。強いて言うならそのセーラー服目当てで入った女の子たちが他の学校に比べて可愛かったのではないかといこうとです。他の学校の人も別にしらないのでわかりませんが。高校生活は総じて楽しかったのではないかと思っていますが、もちろんしんどいこともたくさんありました。まあ人生そんなもんですよね。あっ、あとこの高校も、家から近かったです。


部活
結局サッカー部に所属したのですが、ここのサッカー部は全国優勝した強豪でした。学校には「体育科」なるものが存在し、サッカー部というだけで人間としての価値が上がる。そんな感じの部活でした。サッカーが上手な人間もたくさん集まっており、中には新幹線通学までしてくる猛者もいました。練習は朝晩毎日あり、「午後練が終わってからももちろん自主練するっしょ」みたいな恐ろしい雰囲気が漂う社会でした。

私はサッカー部にめちゃめちゃ入りたかったわけではないですが、なにせ自分ができることなんてこれくらいですし、周りの友達もみんなサッカー仲間だらけなので、このときも「まあ入るしかないよな」と思いながら入部しました。最終的にスタメンとして全国の舞台で活躍することはできませんでしたが、チームは全国でベスト8になったりと、まあ貴重な経験ができたのではないかと思います。士気も高く、サッカー好きの多い、強くて良いチームだったのと思います。

当の私はしんどいから怪我してリハビリしてた方がマシやと思う時が何度もあるくらいでした。最後までやったのが本当に偉いと思います。自分で書くのもなんですが。まあでも私はサッカーにそこまで熱中してできる人間ではないのだなと理解できたのも、高校までサッカーをしたからかもしれません。おかげで大学では部活としてサッカーをしない選択に至りました。


学校
サッカー部だったおかげもあってかクラスでは結構印象的な存在だったのではないのかと思います。授業中は相変わらず煩くて周りの人に迷惑をかけました。そのくせテスト勉強はちゃんとするので、成績は結構いいと言うクソ迷惑かつ腹立たしい生徒だったと思います。しかしながら高校生というものは想像通りキラキラしており、活動範囲がこれまでより格段に広くなったり、男女の交流が増えたりしますよね。多分そのせいもあってか、大学一年生は自分もキラキラしたかったのだと思います。

大学2年生からは文理選択があり、数学能力が絶望的な私は迷わず文系を選択しました。そんな大学2年からは今でも結構仲良くしている友人と初めて同じクラスになったり、気が合う人がたくさんいたりで、非常に楽しくスクールライフを送っていたように思います。毎日学校に行くのが楽しみでした。部活が始まるのがメチャ嫌でしたが笑

大学2年の冬からは東進衛生予備校に通い始めて勉強三昧の日々を送り始めました。というのもコーチに試合中文句を言ってしまい部活を2ヶ月停止になってしまったんです。聞こえないくらい小さい声で言ったのに。彼は地獄耳でした。見事に聞かれていました。今思い出してもそのコーチは腹が立ちますが(私が悪いのは承知です)、まあ当時は焦っていました。大事な3年生の時期が始まるのに練習もできず、掃除をしたり走ったりするだけの部活ライフをすごすなんて流石にやばいと思ったのでしょう。公園で「ぅぅぅぅぅぅ…」と唸りながら、思い立ったように「よし、勉強しよう!」考え直しました。

結局干された当日に塾に電話しました。私はここからもう勉強することになるとも知らずに。でもこの日からめっちゃ勉強していなかったとしたら、関西大学には受かっていなかったでしょう。まじでめっちゃ勉強しました。山口大学にも受かっていたのですが、やっぱり都会に出たかったので、関大にしました。

この選択は非常に良かったと思います。都会と田舎の生活には差がありすぎて、私の知らなかったことがたくさん見れた大学生活を過ごすことができたのですから。ちなみに私の代で一般で関西大学に合格したのは多分私くらいです。文武両道といいつつ勉強はそんなにできる大学ではなかったので、私としてもそうですが、高校としても文武両道をずつ現した私が誇らしかったに違いありません(やかましい)。まあ学生生活はこんな感じでした。

恋愛
あと一丁前に恋愛もしました。恋愛と言いつつも、何をしたらいいか分からなくて1ヶ月も立たないうちに別れた中学校の同級生と、こちらもなにをしたらいいのかわからなくて2度も振られた高校 の同級生ですが。あの頃は付き合っていると意地事実だけで満足していたところもありました。でも中学の同級生も、高校の同級生もどちらもかわいかったので、サッカーをやっていて良かったと思います。サッカー部は無条件でモテたので。そんなことはないようで、そんなマジックもあったように思えます。いろいろ不甲斐ないところはあったにせよ、夜いつも2時とか3時まで電話したり、私が試合、その人がバイトがない日に遊びに行ったり、楽しい思い出もたくさんできたように思います。相手がどう思っているかはわかりませんがね笑


- まとめ -

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思ったより長くなりましたね。ここまで読めた方は忍耐強いか、だるくなって「必殺下まで一気にスクロール」を使った方だと思います。何はともあれお疲れ様でした。そして私のことを知ろうとしてくれてありがとうございます。可もなく不可もない人間だったでしょうか。面白い部分がそこしでもありましたら嬉しいです。私は自分のことを書くことも好きですが、人のことを読むのも好きです。特に共通点が多い人とかは色々知りたくなります。それは誰でもそうな気もしますが、まあ何はともあれ言いたいことは、全然読んだりしますので、リンクなりなんなり送ってください。

続きの大学生編はこちらです。
もし呼んでくださる方がいればぜひ読んでいただければ嬉しいです。

https://note.com/kamachu/n/n7722fe84b2fc

ではまた次のnoteで。

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