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ラベル~コンビビアルなマネジメント⑳

 色々なものがラベルで判断される時代です。学歴など、以前と比べると価値が急速になくなりつつあるものもありますが、一方で「SDGs」や「働き方改革」など新しいものが続々とでてきています。SDGsのコンセプト自体は賛同しますが、それを取り巻く現在の状況には違和感を覚えます。働き方改革も実際は働かせ方改革の場合が多く、ラベルと中身のコンテクストが一致していません。大切なのはラベルではなく、中身であり姿勢です。ラベルは、その中身や姿勢を他者が評価し、結果として他者からつけられるものです。

 ラベルそのものが混乱を招くようなこともあります。例えば「副業」のラベルですが、現代社会で、このラベルが発する響きは、収入口の複数化を推奨しているだけのように感じます。ただ「不安」を煽るだけのようにしか思えないのです。そもそもコンビビアリストには、主業/副業といった概念、感覚すらないので、「副業」のラベル自体、意味がありません。

 きちんとコンビビアルに配置された「複業」は「希望」に繋がるのですが、このコンテクストは「副業」というラベルからは伝わってきません。活き活きと愉しそうに、そして自由に色々な場所を行き来している人たちはこのコンテクストのうえに立っているのです。

 それでもラベルは氾濫します。効率的で一見分かりやすいからです。選択するのに、労力がいらず、考えなくてよいからです。そして……ラベルは商売にしやすいからです。「不安」を煽る材料に使えるので、商売になりやすいのです。わたし達の成熟度が試されているとわたしは思います。ラベルだけみて判断してよいものでしょうか。ラベルがないと判断できないのは未成熟なことなのではないでしょうか。

 「やさしさ」にも色々な種類があります。甘いものもあれば、辛いものも、ときには苦いものもあります。大切なのは、やさしさをコーティングしているものではなく、その本質、想いです。ラベルでしか判断できないようになると、その本質、想いを感知するチカラは弱くなります。ラベルではなく中身や姿勢、本質や想いをみること、そして、ラベルは他者がつけるものであり自分自身でつけるものではないということ、を意識するべきではないでしょうか。

続く

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