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違和感~コンビビアルなマネジメント⑰

 「自分の」真・善・美を再構築する(取り戻す)と、些細なことに「違和感」を覚えることができるようになります。ルールに収まっていないから覚える違和感ではなく、感覚的に「違和感」を覚えるのです。「違和感」を覚えるのは真・善・美という基準が自分の内側にあるからです。
 この真・善・美は他律的に与えられるものではありません。自分で獲得していくもの、耕していくものです。

 非自己部分を耕せば耕すほどこのセンサーは鋭敏になっていきます。言動は勿論、佇まいや書かれた文章にも反応するようになるのです。「自分の」真・善・美に照らし合わせて生きること(働くこと)ができれば、それは豊かな人生と呼べるのではないでしょうか。少なくともそれが満たされていなければ、豊かな人生とは呼べないのではないでしょうか。勿論、現代社会はそんなに甘くないということは重々理解しています。それでも、わたしは子どもたち(未来)にそんな社会を引き継ぎたいとは思いません。
 しかし社会や他人を変えることなどできません。自分のこどもであってもです。変えることができるのは自分自身の在り様だけなのです。1%ずつ自分の真・善・美を耕して深化させていくしかないのです。

 言葉にすると少し息苦しさを覚える方もいらっしゃるかもしれません。センサーが鋭敏になればなるほど生きにくくなるのではないか、と。確かに今はそのような部分もあるかもしれません。覚えた「違和感」を相手に伝えれば衝突に繋がるかもしれません。しかしそれはコンビビアルな社会でないからなのです。それぞれが非分離な状態でないからなのです。
 コンビビアリスト、コンビビアルな組織で社会が満たされれば社会はコンビビアルに必然となります。そうすれば、この生きにくさは消失するはずです。昔は近所のおじさんやおばさんが地域の子どもたちに色々と注意し、気づきを与えていました。そこに衝突はありませんでした。わたしは懐古主義者ではありませんが、そこにある種の豊かさを感じます。

 想いを馳せあえる社会に一歩ずつ進んでいきたいものです。

続く

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