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タキビバ(TAKIVIVA)~コンビビアルなマネジメント⑩

 その「場」はタキビバといい、浅間北麓、群馬県北軽井沢にある有限会社きたもっく(以下、きたもっく)が運営しています。きたもっくは、自らを地域未来創造事業体と位置づけ、様々な地域の価値を磨きだし、多面的に事業を展開している企業です。

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 二〇二〇年代は、個人や企業をはじめとした組織やコミュニティ、そして社会全体が未来に漠然と不安を抱える時代、答えのない問いに向き合う時代といえます。不安のなか、答えのない問いに向き合いながら、未来創造に向けて企業やコミュニティがその歩みを進めていくには、多くの人による協働作業が必要不可欠です。
 この協働作業は、人と人のしなやかな関係性が基盤になりますが、その関係性は現代社会において希薄になっているのが実情です。タキビバは、企業など様々なコミュニティ(目的をもった集団)に相向かいの関係性から解放されフラットな関係性が築かれる「場」を提供しよう、というコンセプトのもと創られました。
 タキビバの核になるのは「火(生火/焚き火)」です。
 「ヒト」は火と付きあうことができたから「人」となることができたのです。これまで人は、様々な道具として火を使ってきました。そのなかで火を囲んでのコミュニケーションが人類に及ぼした影響は計り知れません。

 焚き火をしたことがある方は感覚的に分かることだと思いますが、焚き火をみつめていると心が穏やかになり、素の自分に向き合いやすい状態に自然となります。また、一緒に火を囲む人に対しても、フラットな関係性を築きやすく、共感をもちやすくします。無言の時間も苦にならず、穏やかな関係性が自分とも他人とも紡ぎやすくなるのです。火を囲んでのコミュニケーションはわたしたちの根っこに古来から深く刻まれたものなのです。

 このように人と人の関係性を変化させる絶妙な距離感をもつのが焚き火であり、タキビバではこの距離感のことを「焚き火ディスタンス」と呼んでいます。このディスタンスの効果によって、コンビビアルな組織をカタチづくる、二つの要素「素の自分に向き合う」と「相向かいの関係性からの根源的な脱却」が担保されるのです。

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 「焚き火ディスタンス」によって、コンビビアルな組織、本音で話そうと思える環境を創っていくためのスタンスが確保された状態で、タキビバは、三つの仕掛けを用意しています。自然、協働、離合、の三つです。

 圧倒的な自然環境のなかにいると、自然が放つ「ゆらぎ」で本能や感性が刺激され、五感が解放されます。素の自分に向き合うにしても、クリエイティブな感性を呼び覚ますにしても、五感の解放は必要不可欠なものです。しかし都市での生活をしていると五感を解放する機会や場所はほとんどありません。間違って満員電車で五感を解放したら大変なことになってしまいます。
 タキビバのある北軽井沢の自然は浅間山が支配しています。浅間山は活火山で、大規模噴火を七百年に一度のペースで起こしており、直近は一七八三年、天明の大噴火でした。そのとき発生した火砕流でこの一帯は「ゼロ」に戻りました。その浅間北麓の地にあるきたもっくには、その理念をあらわす「ルオム(LUOMU)」という言葉があります。フィンランド語で「自然に従う生き方」という意味です。豊かさを享受してくれる自然はその一方で、その場所を一瞬で「ゼロ」に戻してしまう強大なチカラも有しており、それをコントロールすることは不可能で「従う」しかないという考えです。
 自然と対峙し、自然をコントロールしながら近代の都市はこれまで形成されてきました。そしていつしか、自然はコントロールできるもの、という「幻想」にわたし達は支配されつつあります。
 しかしそれは「幻想」でしかありません。人間も自然の一部である、という当たり前のことを身体的にも感覚的にも実感する機会を意識的につくらなければならないのが今の社会です。コロナも、効率化を求め、集積(密集)した都市型社会だから感染拡大したといえるのではないでしょうか。タキビバをはじめ、きたもっくの各事業はこのルオムという理念(自然と人の関係性)に基づきカタチづくられています。
 「ゼロ」に戻った場所だからこそ感じられる北軽井沢の自然のチカラはバナキュラーなものです。この圧倒的な自然のチカラをダイレクトに感じることができるルオム理念による場づくり、それがタキビバの一つめの仕掛けです。

 二つめの仕掛けは、協働、です。個々人が社会や企業のひとつの歯車として動いていると他者を一個人、仲間として認知できない状態に陥りやすくなります。一緒に仕事しているのにひとりぼっちの感覚しかもてない、そのような状態です。他者を感じる機会や場所が消失しているのです。集合住宅で隣に誰かが住んでいるのは知っているが、どのような人が住んでいるかは知らない、といったような状況に通じるものです。コロナ禍で他者を感じる機会や場所の消失は社会全体で加速しています。

 協働すると他者をダイレクトに感じることができます。いいこともよくないことも含めて、その人の「個性」がよく分かります。他者を一個人として意識的に感じることが関係性を再生するためには必要です。

 この協働作業をタキビバでは夕飯づくりを通して行ないます。野外料理をするための焚火食房があり、そこで夕飯づくりを一緒にするのです。薪割りをして夕飯を囲む焚き火場所をつくるチーム、カレーをつくるチーム、カマドでご飯を炊くチームと分業しながら、ひとつのカレーを一緒につくっていきます。最初はぎこちない感じで進む場合もありますが、一緒に焚き火を囲んでカレーを食べる頃には、お互いの関係性が少し変化していることが体感できます。他者を一個人、仲間として認知できたからです。

 三つめの仕掛けは、離合(りごう)、です。
 離合とは、読んで字の如く、離れて合わさって、合わさって離れて……を循環させるという意味になります。焚き火を囲みながら、ポツポツと話し込む時間は貴重な気づきを得る機会となります。その気づきをより深く非自己の領域まで耕していくには、ひとりで考える時間が必要です。

 焚き火のよいところは、ひとりでも少人数でも大勢でも囲める場を自由自在につくれるところにあります。素の自分と向き合う時間/場所と他者と向き合う時間/場所を行ったり来たりすることで、気づきはより本質的なものやひらめきに変化します。タキビバの寝る場所は離合のコンセプトを表出させたキャビン型個室で、内省しやすい空間となっています。

 火を中心に、この三つの仕掛け(自然/協働/離合)があることで、内省による自己理解と共感による他者理解が進みます。

 自己理解と他者理解の二軸が揃えば、互いを尊重し認めあう関係性、本音で話せる関係性が紡がれる条件は整ったといえます。そしてこの関係性を基盤にすることではじめて相互信頼は発露されるのです。

 そしてその相互信頼の関係性のもと協働することで未来は創造されていきます。この相互信頼の関係性に満たされた環境/場所そのものがコンビビアルな組織なのです。未来創造はこのようなコンビビアルな組織だからこそ、実現できるのです。

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 自己肯定感も自己理解、他者理解、そして相互信頼も他律的に得ることはできません。いくら命令しても生まれることはありません。自律的に獲得していくしかないのです。それには、内省や共感が必要です。それを獲得しやすくなる環境、場をタキビバは提供しているのです。


 自らを地域未来創造事業体と位置づけ、タキビバやキャンプ場(スウィートグラス)からなるフィールド事業、そして自伐型林業、養蜂、薪製造など地域資源の価値化を果たす地域資源活用事業をゼロからクリエイトしてきた、きたもっくはここ数年、経済産業省から地域未来牽引企業と認定されるなど、国や地方自治体、他地域から注目を集める存在となりつつあります。

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 地方でゼロから事業をクリエイトするための核となる要件は、一切のバイアスを外し、その場所や自らの想いと向き合い、そこで感じたものを愚直にカタチにし続ける、ことです。きたもっく代表の福嶋誠さんがこれまで歩んできた軌跡はまさにそれそのものです。福嶋さんがこの軌跡をうみだすことできた理由は様々ありますが、わたしは彼の思想の基軸に、関係性、が据えられていることがポイントであると考えています。その関係性とは、自然と人の関係性、人と人の関係性、生きることと働くことの関係性、です。これらの根っこに企業として、社会、地域、スタッフ、そして企業自身にもコンビビアルな生き方を問う姿勢があるのです。福嶋さんの言葉に言い換えると「きたもっくは生き方を問う会社だ」となります。ここでいう企業の姿勢は知の基盤とも言い換えることができ、きたもっくはまさにこれからの時代に必要不可欠な知の基盤のうえに成り立っているのです。
 コンビビアルな組織に必要な知の基盤の再構築には、ミッションやビジョンなどの再構成が必要になります。そのなかで特に大切なのがそれぞれの事業やステークホルダーを適切に位置づけることです。自然と人、人と人、生きることと働くこと、人とテクノロジーの関係性を基準に位置づけしていくのです。
 それぞれの企業/場所において改めて諸々の関係性を問い直し、それに基づき事業やステークホルダーを位置づけしなおすことが今、求められています。そして、これらの関係性を再構築することこそが、昨今関心が高まっているSDGsやESGへの対応に向けた一歩となるのです。SDGsやESGを目的にしても何も意味はありません。目的と手段が逆になっており、到底持続しえないからです。

 もうひとつ、きたもっくがこだわってきた考えがあります。
 それは、都市のマーケティングに惑わされない、ということです。

 都市で流行っているものを持ち込んでも決して上手くいかない、ということを知っているのです。一回性の話を前述しましたが、場所も同じです。都市、地方と大雑把にラベルが貼られますが決して同じ都市はありませんし、同じ地方はありません。
 その地域、場所によって、風土や地質も違い、価値化できる素材も、それらを価値化する方法も違ってきます。
 きたもっくは浅間北麓という「場所」に愚直に向き合いながら、地域の価値をひとつずつ磨き続けここまで歩んできました。「場所」に真摯に向き合うことだけがその場所(地域)の未来に繋がることだと確信しているからです。
 この浅間北麓に実体化されつつあるのは「場所」形成による地方創生のモデルとなるものです。わたしはこの「場所」形成による地方創生モデルが自律的持続的な地方創生の唯一の解だと考えています。そして、それはコンビビアルな企業、組織でなければ実現できないものなのです。


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続く

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