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あるがまま、あるべきように~コンビビアルなマネジメント㉘

 あるがまま、あるべきように。これは山梨県都留市にある耕雲院の河口智賢さんに教えてもらった言葉です。好き勝手に生きるのが、コンビビアルに生きるということではありません。
 あるがまま、あるべきように生きるのがコンビビアルな生き方です。

 二〇二〇年代は、生きること、働くことの位置づけが他律的に変化させられる時代ですが、既に昔から多くの人がコンビビアリストとしてコンビビアルな生き方、働き方を実践しています。

 しかし、まだ特に日本においては、コンビビアルな組織/場所は少ないのが実情です。近代以降の行き過ぎた個人主義により、「コミュニティ/場所」に属する個人を失った、個人の集合化が進みました。個人は分断され、その分断を「活用」してこれまで世界は成長してきましたが、それは既に破綻し、新たな価値観に基づく社会の実体化が図られようとしています。
 それがコンビビアル《自律している個人がお互いの存在を認め合い、共に活き活きしている様》な社会だとわたしは思います。この社会を創るには、個人だけでなく、多くの組織/場所がコンビビアルなものになる必要があります。

 組織/場所がコンビビアルな「空気感」を纏うことでようやくその社会は姿を現すのです。
 子どもたちは心配しなくても元々コンビビアリストなので大丈夫です。あとは、大人が素敵なコンビビアリスト(オトナ)になり、それぞれが属する場所をコンビビアルな空気感で満たすことが残されているだけです。

 コンビビアルな社会を創るには、それぞれの「組織/場所」をコンビビアルに自らの姿勢、空気感で変えていくしかありません。コンビビアリストが増えてきている今だからこそ、後はそれぞれの「組織/場所」を変えるだけなのです。変わりつつある「組織/場所」が緩やかに繋がり、連帯をはじめることができれば、コンビビアルな社会は出現します。

 あともう一歩です。わたしもその一歩をみなさんと一緒に踏みだしていきたいと思っています。

続く

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