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カルチャーの醸成~コンビビアルなマネジメント⑫

 コンビビアルな組織の基盤には、素の自分に向き合い、相向かいの関係性からの根源的な脱却(自己肯定感、自己理解/他者理解の醸成)をすることがあり、更にそのマネジメントには、組織を動的なものとして捉え、参画者がコンビビアリストであることを心の底から臨む姿勢が必要であることをここまでお話してきました。この基盤を自律的持続的に強固にしていくためにはカルチャーの醸成が必要です。カルチャーの醸成には丁寧な手入れが必要です。カルチャーは空気感です。

 わたしが生きていく際に(=仕事をしていく際に)大切にしていることが三つあります。

□ (自分のもの、他者のものに関わらず)掲げるビジョンに心から共鳴できること
□ オーナー(トップ)と信頼関係を築けるイメージがもてること
□ コミュニティ/組織が醸しだす空気感がわたしにとって心地よいこと

 このなかでわたしが最も大切にしているのが空気感です。

 情緒的で非言語的なものですが、この空気感の根っこに違和感があると素の自分がコンビビアルな状態になりません。勿論、100%心地よい空気感などありえませんが、空気感の根っこに違和感が少しでもあれば、その他の条件が揃っていたとしてもそれ以上歩みを進めることはしません。直感的なものですが、その直感をわたしは大切にしています。

 空気感は絶えず変化する動的な流れです。

 この空気感、カルチャーは、組織が創り参画者に与えるものではなく、参画者自身が自律的に創りだしていくべきものです。グスターボ・ドゥダメルが指揮するコンサートの空気感も彼がきっかけにはなっていますが、演奏者だけでなく観客まで一緒になってそれを創りだしていることと同じです。それぞれが当事者で創りだすのですから何かのきっかけで連鎖的に壊れてしまうこともある、とても脆いものです。ですから、それをよりよいものに醸成していくには、丁寧な手入れが必要になります。具体的な仕組みと仕掛けが必要なのです。

 その仕組みや仕掛けは、それぞれの組織によって、そして同じ組織であってもそのステージによって変わってきます。動的な流れをみて適切なものを創っていきます。局面(場所)ごとに最適なものは違ってくるのです。しかし、その底流にあるものは変わりません。

 どのような仕組みが必要なのでしょうか。

 それは、それぞれの仕事の位置づけをビジョンに沿ったものに紡ぎなおす仕組みです。仕事の位置づけが変わるだけで、仕事の「意味」自体が変化し、関わる人の熱量(当事者意識)はあがりますし、アウトプットの質も結果的に向上します。ビジョンとの関係性だけでなく、それぞれの仕事同士の関係性を紡ぎなおすことで、協働の意識も格段に高まります。

 効率を追って分業化や分散化が進む現代社会ですが、本質的な分業とは、切り離された形で仕事を進めることではなく、しなやかな関係性を築くことです。分業は「統合」の意識のもとでしか成り立たないものなのです。仕事の位置づけを整理し、関係性を紡ぎなおすこと、それが仕組みの底流にあるものです。

 まったく違う部署のメンバーが自然と交流できるようなオフィスの構成やNotionなどのツールの構成(活用の仕方)、組織自体の構成、集い(ミーティング)の構成等々、具体的な仕組みはその組織によって異なってきますが、いずれもビジョンとそれぞれの仕事、それぞれの仕事同士、そして参画者同士の関係性をしなやかにしていくものであるべきです。仕組みを通して「自律的な分業」を実体化させるのです。「統合」の意識のもと慎重に分業をすすめていくのです。分断するのが分業ではありません。しなやかに繋ぎ合わせるのが分業なのです。
 
 分かりやすい仕組みのひとつが「配置」です。個々人の資質を最大限に活かす「配置」の実現です。既に存在している「役割」にはめ込んでいくのではなく、それぞれにあった「役割」を創り、一枚の美しいジグソーパズルを完成させるように、全体として調和のとれたものにしていくのです。部署、役職は関係ありません。その場所でどのような「役割」を果たしてもらうのが双方にとってよいか、プリミティブに考えることが大切です。

 次にどのような仕掛けが必要なのでしょうか。

 それは、個々人の成長(結果として組織の成長)を促す仕掛けです。

 組織の成長の前に個々人の成長を考えなければなりません。組織の成長は個々人の成長の結果、紡がれるものだからです。至極当たり前のことですが、これが徹底されている組織もまだ少ないように感じます。組織の成長のために個々人を交換可能な「歯車」としてみているような前時代的なところもまだ見受けられます。その兆候は些細なところに現れます。人は決して交換可能なものではありません。それぞれ個性、独特のクリエイティビティをもった交換できない「人」なのです。

 ひとりでできないことをするために組織は存在するはずです。そして個々人のもつチカラを最大限に発揮させることでしか、組織の成長は達成できません。その矜持をどこまで徹底できるかにかかっています。

 では、そのような個々人の成長を促す仕掛けをどのように実体化させていけばよいでしょうか。

 それに有効なツールがプロジェクトです。前段の「仕組み」で発露した関係性を活かしたプロジェクトの組成です。それぞれの仕事を、その組織が掲げるビジョンを通して、世界と繋げていくプロジェクトです。効率だけを追求した「分業」という名のもとにある細切れに分断された仕事から、世界と繋がっているという自覚をもてる仕事、社会に対しても責任と誇りをもてる仕事に変換させるプロジェクトです。

 ここで「プロジェクト」について改めて考えてみたいと思います。前の章でもご紹介したフランスの社会学者であるリュック・ボルタンスキーはその著『資本主義の新たな精神』(ナカニシヤ出版)のなかでプロジェクトを「持続的な紐帯をつくりあげることを可能にする強力に活性化されたネットワークの断片である」と定義し、価値創造の基盤であると述べています。
 更に、ボルタンスキーは「各人が自分自身であるのは、自分を構成する紐帯があるからに過ぎない」と指摘しています。わたしはこれを、自分というものの実体はなく、諸々の関係性のもと場所ごとに出現するものである、と解釈しています。

 またプロジェクトにおいて重要なこととして、「常に何かを見据え、他の人々と準備をすること、何かをするという意思をもつこと」をあげています。協働の実体化と自律的な参加(強制ではないこと)が要件であるということです。プロジェクトにコミットしないという選択肢があることが重要なのです。コミットメントは自由意志によるものであり、他律的な参加ではプロジェクトは成立し得ないということになります。

 一方でボルタンスキーはプロジェクトに関するリスクにも言及しています。結合を増やし紐帯を増殖させながらプロジェクトは継起する(ネットワークの拡大)、このネットワークは自発的に発展する傾向があるが、同時に硬直化、内的退化の危険性に絶えず脅かされている、と。丁寧にプロジェクトを育てていかなければ、プロジェクトは簡単にその命を奪われ、ピラミッド型組織に変容していってしまうということです。

 次に挙げるのは、ボルタンスキーがプロジェクトについて考察したポイントです。

■ 他者と結合する、関係を結ぶ、紐帯をつくるには、相互信頼の関係性が必須で、そのためにはしっかりとしたコミュニケーション、自由に議論することができる場所が必要である

■ 自分に求められているものに応じ、他者と状況に適合する必要があり、臆病さや硬直性、不信はプロジェクトを簡単に阻害できる

■ 冗長な情報や紐帯との結合を避けることが肝要である

■ プロジェクトの絆を結ぶものは、信頼と関係的資質をもつ者/場所であり、それは共通善を志向し、自分自身多能で、コミットし、可動的であるだけでなく、自己の雇用可能性を伸ばすとともに、他の者たちにもこうした美質を享受させる者/場所(差異に開かれている開放系)であること

■ プロジェクトの絆を殺すものは、(閉鎖的、固定した考え、権威主義、不寛容な)コミュニケーションできない者/場所、一部の人の利益にはなるが、共通善に奉仕しない者/場所(えこひいきを容認する特権の閉鎖系)である

■ 創造性とは、紐帯の数と質の関数であり、無から創出するというよりむしろ組み替えに依存し、分散した形式をとる

■ 人々は自己組織化し、ローカルな規則を作りあげるが、そうした規則が何らかの組織の部局によって全体化され包括的に合理化されることはない
 
 生命体的プロジェクト組成の奥深さを感じて頂けましたでしょうか。

 その組織/場所にあったプロジェクトが組成できれば、自然に参画者の興味関心は高まり、みえる景色が変わってきます。景色が変わると自然に意識が高まり、みる解像度は格段とあがります。解像度があがるとそれぞれのアクションは必然的に変化し組織全体としてのアクションも変化します。

 そうなれば、未来はよりよいものにならざるを得ないのです。

 プロジェクトは丁寧に育てなければなりません。
        
 そのポイントはコミュニケーションです。
 コミュニケーションに真面目に向き合うのです。分かっているはず、分かってくれるはず、からはじめるのではなく、分かりあえないけれど分かりあいたい、からはじめ、向き合う→聴く→伝わる→向き合う……の循環を総体として愚直に回し続けることこそがプロジェクトが育つ土壌となるのです。

 プロジェクトをマネジメントする際に留意すべきことは以下の二つのことの徹底です。

□ 方向性やフレームだけ整えたうえで、あとは参画者に自律的なアクションをしてもらうこと
 
□ 自由にはルールがあることの理解を得、そのルールのコンテクストの共有を徹底すること

 これは決して放任と同じではありません。仕組みと仕掛けづくりの責任を果たすことがマネジメントの役割です。マネジメントの責任はここにあります。マネージャーがその役割をしていないのであれば、そのマネージャーは少なくともこの文脈でのマネジメントはしていないということです。

 そして、ルールのコンテクストの共有はとても大切です。ルールは正しく設定しなければ機能しません。正しく設定できなければ、自律を阻害するだけのものになります。

 信号でいえば、青信号は進め、赤信号は止まれ、がルールといえます。このルールのそもそもの目的は安全にあるはずです。安全に横断歩道を渡るために必要なルールです。それがいつしか青信号は渡っても大丈夫、赤信号は危ないから止まる、という風にルールが目的化され、青信号であれば周りを確認もせず渡る、何も危険はないのに赤信号でひたすら待つ(あくまで例えです)ようなことになります。信号に他律的にコントロールされている状態です。

 日常の仕事のなかでもこのようなことは多く起きているのではないでしょうか。
 安全に渡るというコンテクストを理解、共有し、自律的に行動することが大切なのです。

 現代社会はこのような「転倒」に満ち満ちています。便利さ、快適さの名のもとに、自律的行為をさせない、自律的行為ができない構造になっているのです。

 報連相のコンテクストにも違和感をもつことがあります。報連相は協働作業をしなやかに行っていくためにすることです。コントロールをするためのものではありません。従って、報連相はいわゆる「部下」から「上司」への一方通行のものではなく、組織のなかで縦横無尽に行われるべきもので、特に「上司」から「部下」の流れを意識するべきものなのです。この報連相のコンテクストの共有が総体としてできると劇的な改善が見込まれます。

 ここまでカルチャーを醸成するための仕組みや仕掛けについてお話しましたが、このような仕組みと仕掛けを経ると、個々人の自己肯定感は高まり、結果としてそれぞれに責任や誇りが醸成されていきます。責任や誇りは、それらを持てと他律的に促しても持てるものではありません。責任や誇りはそのようなものでは決してないのです。できることは、仕組みや仕掛けを通してそれぞれが自己肯定感を獲得しやすい環境/場所を整えていくことだけです。

 自己肯定感が高まれば、その先に責任と誇りは自然に醸成されます。

 責任と誇りが醸成されれば、そこに他律的な仕事はなくなります。自律的な仕事があるのみです。自律的な仕事だからこそ、自ら考え行動し、自らで未来を紡ぐ姿勢となるのです。そしてその総体が組織のカルチャーとなり、コンビビアルな組織は自律的に持続可能な実体として立ち上がっていくのです。

 マネジメントの役割は環境、機会を創り、仲間を信じ抜き、コンビビアルな人と場所を守ることに尽きるのです。

続く

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