「リュートの楽譜は数少ない」?

先日の日経の記事で、たまたまこんなのものを見つけました。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD092310Z01C21A1000000/

いわゆる「古楽器」の特集です。

最初のほうでは、10年ほど前から独学でリュートを弾かれているという、作家の方へのインタビューが掲載されています。
何気なく読み始めて、びっくりしたのが途中の段落の書き出し。

リュートの楽譜は数少ない。

ここだけ取り出すと、
「えっ、全然そんなことはないのに!」
と反論したくなります。

ちなみに今自分の手元には、例えばルネサンス時代の音楽に限っても、おそらくどんなに長生きしても、一生のうちには到底全てを音にできないほどの、大量のリュートの曲の楽譜があります

それとは別に、現在インターネット上で提供されているリュート音楽の一次資料は、楽譜に限ってもこれまた膨大な量です。
そのあまりの多さに、「死ぬまでどうせ全部なんてできないだろう」と、
ある種の諦めすら感じています

ですから、「リュートの楽譜は数少ない」というのは、これだけ読めば事実を述べているとは到底思えないのです。
少なくとも、私の第一印象はそうでした。

しかし一方で、少し冷静に考えると「なるほど!」と思うこともあります
ひょっとすると先ほどの文章は舌足らずなだけであって、以下のように補って読んでみればどうなるだろうかと。

「リュートの楽譜(で、初心者がすぐに読んで音出しが可能で、なおかつ日本国内において入手が容易なもの)は数少ない」

これならば、ある程度は実情を反映したものとして、少なくとも自分は理解できるようになりました。

そもそも、リュートの楽譜を「初心者がすぐに読めるようになる」までが、ある程度大きなハードル(それ以前のハードルとしての、楽器の入手に関してはこの際論じるのはやめます・・)であることは、やはり認めざるを得ないところです。

というのも、つい最近の記事でもご紹介したように、リュートの「タブラチュア」は、大きく分けて数字式・アルファベット式・混合式があり、各システムの中においてもいくつものバリエーションがあるため、幅広くリュートのレパートリーを網羅するためには、そうした異なる読み方に一通り慣れる必要があります。
また、それに慣れたところで、今度は数字やアルファベットの書き方も楽譜によって様々ですから、さらにそれらを見分ける手間もかかります。

こうなってくると、「面倒な読譜の時間は最小限にして、とにかく一刻も早く音を出したい!」という要求が起こるのはごく自然なことと思われます。

特にアマチュア奏者や、一般のリュート愛好家の方々にしてみれば、日々の仕事や家事などの忙しい合間を縫って、ようやく捻出できた貴重な趣味の時間を、できれば意義ある「音出し」の時間にもっと充てたいと思うのは当然のことだと思いますし、そうした自然な要求が存在することを、リュートの演奏や教授を生業とする側といえども、無視することはできないのです。

初心者の方から、「日頃どんな曲を練習すべきでしょうか?」という相談を受ける機会が比較的よくあります。そんなときに私が決まってお勧めしているのが、私も入会している英国リュート協会が、新規入会者にもれなく発送してくれる「ビギナーズ・パック」です。

また、以下の協会の出版楽譜リストには、「Easy Pieces」と称したシリーズがたくさんあるので、気になった方は是非チェックしてみて下さい。

https://www.lutesociety.org/pages/catalogue

フランス・リュート協会の「Le Secret des Muses」シリーズも、初心者に親切な、演奏の平易な曲をセレクトした曲集を多く出しています。これらのほとんどの巻の編者である同協会会長のパスカル・ボケ氏は、子供たちへのリュートの教育も長く行っていて、その方面のメソッドの蓄積もある方です。

さらに、ドイツ・リュート協会と関連の深かった、Tree Editionによる初心者用のリュートの楽譜は、最近亡くなった創業者の遺言によって、他の出版譜ともども、先ほどの英国リュート協会のサイト上で一括して無料ダウンロードが可能となりました。これらも利用しない手はありません!

https://www.lutesociety.org/pages/tree-edition-files

こうした初心者用のリュート用楽譜のシリーズは、元の資料では読みにくいものを、主にアルファベット式のタブラチュアに統一して分かりやすく書き直したものです。一部の楽譜には、現代のピアノ用二段譜が対照のために添えられていることもあります。これらを使えば、独習は充分可能でしょう。

あと、「英語やフランス語はできなくても・・」
という心配は、とりあえずご無用。
少なくとも、これらのシリーズの楽譜の読解そのものには、語学力はそれほど問われません(もちろん語学はできた方が、その先楽しいことは多いです!)

いや、それでもかたくなに「日本語で全部やりたい!」という方(・・)のためには、既に日本人のリュート奏者が出している教則本がいくつかあります。
私が日本への一時帰国時に、東京でいつもお世話になっているこちらのお店(ギタルラ社)には、日本語で読めるリュートの教則本や楽譜が常時置いてありますので、実際に手にとって見ることが可能です。もちろん、オンライン注文も可能。

http://www.guitarra.co.jp/index.html

ここまで紹介してきたのを全て合わせると、初心者用のリュートの楽譜というカテゴリーの範囲内でも、随分と質・量ともに充実するようになったかと思います。

最後に、今回の日経の記事で気になった別の箇所。

古楽器は英語で「ピリオド楽器」と呼ばれる。その名の通り、一度は使われなくなった楽器だ。多くは木製でくぐもったように素朴に鳴る。洗練された透明感はないが、初めて聴く楽器の音でもどこか懐かしく感じる。かつて多くは貴族の邸宅などで行われていた演奏会も、近代以降は市民階級の台頭とともにホールで大人数に向けて開かれるようになり、音が大きく響くようにと技術革新を続けた結果、ピアノなど今ある楽器が大勢となった。

「古楽器」の定義や「ピリオド楽器」の位置づけについて、自分の見地からするといささかの疑問を感じました。

何せ大衆に向けて一定の影響力を持つ日経の新聞記事だけに、知らず知らずのうちに、思いもよらない方向で「古楽器」「古楽」が理解されていくことになるのでは・・という複雑な思いを、今これを書いている最中も抱いています。

リュートという楽器の話題からは一段と飛躍することになりますけども、これに関する私の考えも、また別の記事でとりあげることができれば、と思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?