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クリムトが描いたリュート

みなさんは、こちらの絵画作品をご存知でしょうか?

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ウィーンのベルヴェデーレ宮殿内の絵画館が所蔵する『接吻』です。
市販の葉書などでよく使われているので、実物でなくとも複製品なら一度はご覧になったことがあるでしょう。

恥ずかしながらこの私、ウィーンへはこれまで複数回行っていながら、こちらの実物を見る機会に恵まれていません。毎回ベルヴェデーレ宮殿のほんの近くまで行っているのに(行きつけのレストランがあるくらい!)、今度こそはと言いつつ、結局足が遠のいてしまっています・・

余談はさておき、『接吻』の作者といえば、言うまでもなくグスタフ・クリムト(1862~1918)です。

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↑ 1914年のクリムト。

彼は、いわゆる「ウィーン分離派」を代表する芸術家として知られています。分離派の立ち上げは1897年、そして『接吻』はそれから10年の時を経て製作が開始されました。金箔を多用した表現は、この時期のクリムトの作品において顕著な特徴となっています。江戸時代の日本画からの影響があるのではという説もあるくらいで、言われてみれば絵画というより、むしろ装飾画という呼び方がされることが多いのも納得です。

このように、一般に広く知られているクリムトの作品は、『接吻』をはじめとする、彼の創作活動の中では後期にあたる作品群ですが、一方でクリムトの若い頃の作品となると、あまり紹介される機会がなかったようです。
しかし、一昨年(2019年)に日墺の交流150周年を記念した展覧会で、クリムトの作品が多数日本で展示され、ポスターにも使われた代表作『ユディト』の他に、いくつかの初期作品がようやく日の目をみる機会を得ました。

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そんな中、クリムトのリュートが描かれているものがあることを、恥ずかしながら私はごく最近まで知りませんでした。

それがこちらです。

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ウィーン美術史博物館所蔵の、『青年期』(Die Jugend)と題されたこの作品は、右下に1882年という年号があるように、クリムトが20歳になる年の製作。後期の豪華絢爛、特に淫靡な作品のイメージとはうってかわり、一見すると17世紀以前の絵画を思わせる、古典的で落ち着いた表現が印象的です。

果たしてこの作品が常設展示されているのか、私には残念ながら分かりません。同美術館には2度ほど、鑑賞の時間をじっくりかけたものの、この作品を見たという記憶はないのです。

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↑ 1887年当時のクリムト。まだ少し青年の面影を残しています。

20歳のクリムトは、自発的にこういう構図を思いついて、製作に取り掛かったのでしょうか?どうやらそういうわけではないようなのです。

実は、このリュートを奏する男性が描かれた作品は、同年にウィーンで出版された『アレゴリーおよびエンブレム集』の中に、図案の一つとして他の作品とともにクリムトが提供したものでした。

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↑ 『アレゴリーおよびエンブレム集』(1882)初版の表紙。

他に計6点の作品がここに収められています。
あらためてリュートの部分を拡大してみましょう。

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マンドリンを大きくしたタイプの、19世紀のドイツ語圏に典型的なリュートこちらの記事で紹介しています!)をモデルに据えて描いたと考えて、良いでしょう。

この青年のうつろな目が見つめる先は、いったいどこなのでしょう
向かい側にいる、子供を抱いた若い女性だとしたら、それでは明らかに視線が合いません。というより、直視すらできないのでしょうか・・

ヨーロッパの中世やルネサンスの宮廷文学や歌謡によく現れる、身分違いの恋、特に身分が下の方の男からの一途な片思い、というモティーフは、吟遊詩人的なイメージとも結びつきやすいリュートを伴って、その描かれることがたまにありましたが、このクリムトの絵もそうした伝統を意識したもののように思えます。

ここで注意したいのは、先ほどの『アレゴリーおよびエンブレム集』の副題です。

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わざわざ下に赤文字で、「現代の芸術家たちによるオリジナルな図案」であることが示されています

「リュートのアレゴリー」については、以前こちらの記事でわりと具体的に紹介したのですが、アレゴリーという概念が幅広く既知のものであった16世紀と、若き日のクリムトの時代とは、相当な隔たりがあります

しかし、19世紀後半に「古典復興」の機運が高まったときに、このアンソロジーが編まれたのは示唆的です
ヨーロッパにおける、紛れもない美術の中心の一つであるウィーンで、早くから「古典的な」ヨーロッパ絵画の訓練を一通り受けたクリムトが、既に名の知れている有名な画家たちと一緒に、このアンソロジーに作品を提供できると知ったとき、彼にとってはその作品がどういう形であれ、名誉なことだったに違いありません。

『アレゴリーおよびエンブレム集』は好評をもって迎えられ、続編が1900年に出されます。その際にもクリムトは作品を提供していますが、その数はぐっと減り、しかもこちらの作品のように、私たちが知っている「あのクリムト」のイメージにより近いものとなっているのです。

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↑ ユニウス(6月)のアレゴリー。

1900年といえば、その3年前にクリムトたちが中心となって分離派が立ち上げられています。クリムトも18年の歳月を経て、作風・芸術観が相当変化しました。いわば作品の製作をもって「行動」を起こすことに躊躇を覚えなくなってきた感じを受けます。
先ほどの『ユディト』がこの1年後に製作されたという事実を知るとき、世紀の変わり目におけるクリムトの製作の歩みが明確にたどれるような気がしてきませんか?

私は、普段演奏している音楽のジャンルゆえに、こうしたいわゆる「世紀末美術」の分野には非常に暗いのですが、たまたま調べてみると、こうして思わぬところでリュートと出会い、昔は縁遠いと感じられたクリムトが、ちょっとだけ身近に感じられたような気になっている今日この頃です。

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