足下を見る

この表現は、Googleでは英訳してくれないみたいだ。というよりも、web辞書の和英の無料サイトでは、日本語の「足下を見る」は辞書にすらないみたいだった。
このページ、日本語で書いても外に通じるかなぁ、などと思いつつ、いいや。英語で書く気力と余力があまりない。

一言で感じたままを言えば、ユダヤ人というのは「相手の足下を見る民族だ」という気がしていた。
若い頃は、「ヴェニスの商人」のような文学作品で「ユダヤ人」に対するステレオタイプを持っていたかも知れない。私の若かった頃には、東洋に住んでいて西洋の生活の実態を知る、など、知る術もなかったと、それだけは言い訳しておきたい。その後「アンネの日記」などで、ユダヤ人の経験したホロコーストを知って、多少見方が変わった。

ただ、ここ数日、その「当初の第一印象」が再び頭をもたげている。なぜ、ユダヤ人は、というかイスラエルは、パレスチナ人に対してあれほど冷酷になれるんだろうか?と、考えるにつけ、「ヴェニスの商人」のシャイロックが思い出されてしまう。
相手が、自分たちよりも立場の弱い相手だ、と思うと、とことん相手を痛めつける。確かに、ユダヤ人は平均的に教育水準が高く、経済力があるかも知れない。「帰るべき祖国」を持てず、「他国」で生活する中で、それが唯一自分たちを守るための手段だった、というのを何かで読んだ。出典は忘れた。ただ、自分を守るのに必死で、自分たちよりも立場が弱い相手を見下し、力関係で相手を押し潰そうとする、それもユダヤ人の間で一般化したのかもしれない。

「相手が自分たちより弱い」と判断すると、途端に、相手に対してぞんざいになり、見下す。それを日本語では「相手の足下を見る」という。あまり「正しい日本語」を使えている自信がないけれど。イスラエルのパレスチナに対する態度は、まさしく「足下を見ている」状況だと思えてならず、「やはり、シャイロックだ」と思えてしまっている。

念の為に、いくつかの検索語でググった。「アンネの日記」と打ち込んだら、こんなページが出てきた。

https://www.youtube.com/watch?v=Zrob1Z8iqYQ

アンネ・フランクが伝えたかった「すべての人が尊重されること」映画『アンネ・フランクと旅する日記』本編映像
https://www.youtube.com/watch?v=Zrob1Z8iqYQ

「すべての人が尊重されること」だって?
アンネ・フランクが言葉にしたなら、共感できるかも知れないけれど、今のイスラエル人が口にしたら、何言ってんだとしか思えない。

ここ数十年に及ぶイスラエルのパレスチナに対する態度で、もしかしたら、だけれど、ヒトラーが再評価され、「彼は正しいことをしようと、していたのかも知れない」などという「ヒトラーへの理解」が芽生え、パレスチナへの現状が今後も続くなら、それは「歴史的な認識」として「ヒトラーは、手段を誤ったが、目的は間違っていなかった」という後世の歴史家の判断につながる気がする。

ヨーロッパのホテルマンは、客の「靴」を見ていた、と何かで読んだ。(これも、どこで読んだ話題か忘れた。)「靴」が高価だった19世紀までの話かも知れない。忘れた。どれほど着飾っても、余裕がない「旅人」は靴には金をかけない。宿泊代を踏み倒されることを避けるために、ヨーロッパのホテルの人たちは旅人の「足下を見ていた」らしい。

「評価」というものは、自分だけで下せるものではなく、利害関係にある相手や、さらにそれを傍観する第三者によって下されるものかも知れない。

イスラエルのパレスチナに対する姿勢は、アンネ・フランクが世界に伝えた「すべての人が尊重されること」という思いを、「かわいそうな一個人」の思いとしてアンネ・フランクだけにおし留め、「それでも、ヒトラーは手段を誤っただけで、目的は間違っていなかった」という解釈を後世に残す、ような気がしてきた。

ヒトラーも、ドイツに肉体を持つ前にも、何度も地上に肉体を持ち、上に戻ってからも地上でなにが起きているか(他の人たちと同じように)見ていたのだろうと、私は理解している。(私自身には、そうした肉体の世界ではない、意識体の世界での日常など、把握できていないけれど。私がしばしば参加している、ある方の講演内容から、私自身はそう理解している。今現在も、数えきれない意識体の方々が、地上の様々な場所での、当事者の意識も含めて、詳細に見続けていると、私は理解している。)

なんとなく、だけれども、上にいる方々、私がニュースなどで見聞きする以上に、悲惨なパレスチナの状況を見続けている、のは、ほぼ間違いないと思う。だからこそ思った。彼らがいずれ肉体持った時、ヒトラーに関する歴史の評価を覆す。他ならぬユダヤ人の行動が、そうさせるのだろうと、私は感じる。

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