根絶やし

自治会の役員で、自治体から受託した公園管理担当の役員を兼務している。やり手がいないから・・・

受託金を分配して、管理の作業を老人会とか子供会とかに割り振っているのだけれど、回数が限られている上に、30分だけの作業、とか作業時間を切っている団体もあったりして、効果についてはなんとも言えないものがある。
一番丁寧に仕事をしてくれるのは老人会だろうか。世代による気質の違い、というのは、痛感する。私より歳が上の世代の方々は、責任感の強い方が多い。(体力が追いついていないみたいだけれど。)

その公園、あきらかに「花壇だった場所」が雑草に覆われていたので、せめて花を植えられる程度に雑草を片付けようと、部分的にでもいいから「花壇の土」になるように、雑草を取り除こうとしているのだけれど、結構根深い。表面だけ草むしりしても、意味がない。かなり深くまで根が残っている。
今年の春の連休の頃から、空き時間を見て備中鍬を引っ張り出して「根掻き」をしている。だいたい深さ20cm程度まで鍬で掘り起こして、雑草の根を掻いているのだけれど、どくだみの根に、すぎなの根、何か「ツタ」の一種のような地下茎がかなり深くまで張っていて、とりあえず20cm程度の深さまでは取り除きながら土をフカフカの柔らかい状態にして、まずは、チューリップとか、春に咲く球根を植えようと思っているのだけれど、たぶん、時間の問題で地下の深いところから雑草がまた芽を出してくるだろうな、とは思っている。

「花壇」にしようと思ったなら、ひたすら、こまめに、最低でも一ヶ月に一度、6〜7月だったら1週間に一度程度は草むしり(それも、根から抜くような丁寧なむしり方で)をしないと、花壇にはならないな、と痛感している。それが嫌なら、重機で1メートルくらいの深さまで掘り起こして、土をごっそり入れ替える、とかしないと、無理だろうけれど、そんな予算がある訳がない。というか、公園が造成された時にそれをやったのだろうけれど、こまめに(毎日でも)草むしりをしなければ、たぶん、どれだけ土を入れ替えても、一年ですぐに雑草が生い茂ると思う。

特に、植物の場合、枝打ちなどをすると、かえってその周囲から多くの枝が伸びてきて、「見えているところだけ、植物を刈り取る」という行為は、かえってその雑草の根を太らせて、生育を促す行為になるケースも少なくない、と思う。実際に、園芸のサイトなどで個別の植物ごとに調べたりすると、「枝を茂らそうと思うなら、こういう枝を落とさないとダメです」みたいなことが書かれていて、ということは逆に言えば、「こういう刈り方をすると、倍以上の芽が出て、雑草は生育の勢いを増すでしょう」というケースが少なくないだろうな、と思えている。実際、ある種類の雑草では、草刈機で上だけ刈った後、地下茎が周囲に伸びて周辺の3〜4箇所から新しい芽が出て、それを定期的に繰り返すものだから、「草刈り」するごとに雑草が勢いを増している場所がある。その種類に関しては、根から抜かないと意味がないと思うのだけれど、自治会活動の限られた時間では、ボランティア的な住民の参加者の方に「根掻き」をお願いするのは無理だろうな、と思えている。(で、結局、空き時間を見て私が根掻きをしてる。)

「根絶やし」という言葉、言葉にするのは簡単だけれど、実際の雑草の「根絶やし」は、普通にやっていたら、ほぼ不可能だろうな、という気がしている。

で、話題を変えて。(ここからが本題。)

イスラエルでは「ハマスを根絶やしにしろ」という声が上がっているらしい。ふ〜〜ん、と思った。

イスラエルによる「入植」では、じわりじわりと、生活空間を奪われているパレスチナ人もいる上に、明らかな人権無視の状態も定常化していると、私は理解している。現地に行ったことがないから、私の理解が誤っている可能性もあるけれど。
結局、「抑圧状態」の改善の目処が立たない、イスラエルが力づくでパレスチナ人の土地をすべて奪おうとしている(少なくとも、パレスチナ人にはそう感じられる)状況が続いていて、その結果ハマスのような組織が支持されている、ということになるんだろうな、と、私は理解している。

実際には、イスラエルがパレスチナ人の生存権を奪っているケースの方が多いように私は感じているけれど、イスラエル人はパレスチナ人に「自分たちの生存を脅かされている」と感じているケースが多いようで、その辺に事実誤認があるような気がする。
で、今回のハマスの攻撃で「ハマスを根絶やしにしろ」と騒いでいるイスラエル人が多い、ようだけれど、無理だよと私は思う。

おそらく、今知られているハマスの指導者を「根こそぎ」にしたとすると、自分たちの生存が脅かされていると感じて育ったパレスチナ人の中から、その指導者の意思を継ごうとするものが何倍も出てくると思う。それを繰り返せば、ハマスなどのパレスチナ組織に対する攻撃を繰り返せば繰り返すほど、イスラエルがいうところの「テロ組織」はより強固な基盤(若い後継者)を得て、次に芽を出す時には数倍の規模に膨らんでいると思う。

それでも「根絶やし」にしたい、としたなら、イスラエルには何ができるんだろうか?パレスチナ人を一人残らず殺すこと、それ以外には、根絶やしにすることはできないような気がする。そうだなぁ、一番効率的なのは、ガス室か何かを作って、パレスチナ人を一人残らずそこに送ること、だろうか。

これは、私よりもイスラエル人の方が詳しいだろうけれど、一人でもパレスチナ人の生き残りがいたならば、いずれはそれがイスラエルにとっての脅威になるだろうから、赤ん坊から老人まで、一人残らずパレスチナ人が一切、一人も生き残らないように、徹底的にガス室に送らなければ、イスラエルの目的は達成できないだろうなと、私は思う。

約束の地「カナン」だけれど、「約束」とは、一方的なものではなく、ユダヤ人の側が守らなければならない条件はなかったのかな?という気がする。
難しい話をゴチャゴチャ書いても、通じないかも知れない、モーゼ(様)は十戒とか、十個も条件を出したの?と思うけれど、我々地球人の能力じゃ、十もの約束を理解するのは無理なんじゃないかな、という気がする。せめて、二つだけにして、それだけ守ればいい、ということにしてくれたら良かったのに、とは思うんだが、その二つが、「殺すな」「(土地も)盗むな」という二つだけだったとして、ユダヤ人はそのたった二つの「約束」を守れたんだろうか?ってか、守る気があるんだろうか?
簡単な話じゃない。相手がハマスであっても「殺すな」ということだと思う。ましてや、民間人を殺すな、という話で、そのたった一つの約束ですら、守ることが困難な民族がユダヤ人じゃないのか?「約束の地」?そんなもん、とっくに約束が終わってると私は思う。

イスラエルの建国のはるか昔、個人的に思うことは、もしかしたら、ユダヤ人がイエス(様)に槍を突き刺した時点で、約束が破られていたような気がする。その結果、そのユダヤ人が(命令に)従ったはずのローマ帝国自身によって、ユダヤ人は「約束の地」を追われた。先に約束を破ったのはどっちだったんだろうか?と、思えてならない。いや、実際には、それよりもさらに前だろうと思う。
思うに、モーゼ(様)が亡くなられてかなりの時間が経った頃には、「教え」そのものが形骸化して、どちらかと言えば「教えを引き継いだものの権威」に合わせて「形骸化した教え」に「自由な解釈」が施された、ということではないか、という気がする。どの宗教でも事情は同じだと思うから、ユダヤ人だけを責める気はないし、この辺の私の理解は、間違っているかも知れない。「間違った理解」を言葉にしたことによって、私自身が相当な「罪」を負うとしたなら、私自身が地獄の深いところに落とされてもいい、その覚悟はできている。

この辺の理解、「ヒトは、肉体だけの存在じゃない、肉体に入っている意識を持ったエネルギー体が人の「本体」であって、ヒトは、何度でも、国を変え、環境を変え、一緒に生きる相手を変え、職業を変え、あらゆる経験を積むために、何度も肉体を持つ、という行為を繰り返す存在だ」と、私は理解しているけれど、(たぶん、この理解は間違っていないと思うが、)その前提に立つと、世の中の見え方が一変する。

職業軍人とは、大変な人たちだな、と思う。そう言うと、「殺されることがあるから」だと考える人が多いと思う。
確かに、それもある。職業軍人は、その職務の遂行の上で、殺されることさえ前提になることがある。ただ、私の理解では、自分のためではなく、自分が帰属する集団を守るために「殺された」ならば、(特に、その方が「憎悪」などに染まっていなかったなら、)その方の意識体は、普通に人生を全うした場合とあまり大きな差もなく、次に肉体を持つことができるだろうと思うから、「殺される」ことについての同情などは、ほとんどない。
私が「大変な人たちだな」と思うのは、「誰かを殺さなければならない」場面に遭遇する可能性が高いこと、だと思う。「人を殺す」と言う行為は、「普通の人」にとっては、トラウマを残す。結果、自分を責め続けて人格崩壊する人もいる。アメリカ人で言えば、ベトナム、アフガン、だし、ロシア兵でも似たような人が少なくないらしい。生きている間に「自分を責める」ことができた人は、まだ幸いかも知れない。「自分を責める」ことができなかった方の場合には、地獄に落ちた後、「何が悪かったか」理解するまでに相当に時間がかかる、普通の言い方をすれば、簡単には地獄から抜け出せない、ということになるんだろうと思う。

ある方(創造主の思いを伝えることのできる方)の講演を聞いた上での私の理解では、肉体を持っている間は、我々は「脳」で「考える」ことができる。その「考えた内容」や「経験した内容」を、心(=魂=意識体としての自分自身)の中に落とし込めなければ、生きて脳があってすら理解できないようことを、「脳がない」魂だけの自分になった時に、自ら気づくのは、極めて困難だということになる。
せめて、生きて脳みそがある間に、「相手がどう感じるか」を考えて理解する習慣でも持っていないと、大変だろうな、と思えている。だから、その意味で、「人を殺さなければならない職業軍人っていうのは、大変だな」と思う。下手したら、もう二度と「ヒト」としては肉体を持てないかも知れないリスクを負っている、とも思う。

さらに大変なのは、そうした職業軍人に、「人を殺すように」命令を出す立場の方々、だろうか。ざっとニュースを見聞きするに、まず、その「大変さの自覚」を持っている人は一人もいない気がする。ということは、もしかしたら、「ヒトとして肉体を持つのは今回が最後」で、今回が、長い人で数十億年、短い人でも数千万年に及ぶ「ヒト」としての進化の終着点だ、ということもあるかも知れない。
この辺は、師匠じゃないから私にはわからないけれど、今地上で生きているほとんどの人が、最低でも数万回は「ヒト」として生まれた経験を持ち、あらゆる時代、あらゆる場所を経験しながら今に至っていて、肉体を抜けて、(言ってみれば「試験会場」のような、)この物質世界から意識体の世界に戻れば、その全てを思い出す、ものらしい。この物質世界は、「経験を積むための場」だから、(言ってみれば、「試験会場」に参考書を持ち込めないのと同じで)過去の経験などは持ち込まずに、「魂」=(私たちの意識体、自分そのもの)の判断だけでどれだけのことができるか、試されている、と、私は理解している。
なんとなく感じるのは、「試験で落第しても、それに慣れてしまうと、次はどうしようとすら考えなくなる」ということなのかなぁ。師匠じゃないから、私にはわからないけれど。そんな感じの「国家元首」が増えてる気もする。クーデターで国家指導者になった後、反対勢力を武力で制圧する、など、その際たる例だとも思う。
責任の重い地位、立場が上になればなるほど、落ちるリスクや深さも増してくる。それは、普通の社会人をやっていても、同じことが言える気はするけれど、国家元首ともなれば桁が違う気はするんだが、「人を殺すのは悪いことだ」とわかっていない国家元首も、相当に多い気がする。

モーゼ(様)の「十戒」って、たった一つ、「殺すな」すら理解できていない我々地球人類に、なんという無茶な教えを説いたんだろうかという気がする。ましてや、やれ「旧約聖書」だの「新約聖書」だの、一桁の足し算ができない小学生に微分方程式を教えて、「わからない人、手を挙げて」とか言って、誰も手をあげないから、ああ、みんな理解できているんだな、という勘違い。アホくさ。

「ハマスを根絶やしにしろ」って、やってみたらいいんじゃないかな?でも、ガス室は絶対に必要だし、パレスチナ人を赤ん坊から年寄りまで、一人残らず送らなければ、かえって事態は悪化すると思う。

じゃぁ、どうしたらいいのか?どうせ、書いても聞いてはもらえないと思うから、書かない。以上。


(追記)
病院への爆弾投下が、パレスチナ側の別組織のものだ、というイスラエルの発表は、おそらく正しいように感じる。(私の感性の感度は、かなり低いけれども)
ただ、これも感じる。「この自爆攻撃をすれば、反イスラエルの共感を得ると同時に、多くのパレスチナ同胞の命も奪う。ただ、我々パレスチナ人は、生きていたところで大した希望も持てない。希望もなく生きていたところで、殺されたって大差ないじゃないか。」という論法が、その組織では成り立っていたように感じる。いわゆるテロリストの論法かも知れない。

この感覚は、科学力でも経済力でも勝るイスラエル側にはおそらくは理解できない「希望を奪われ続けている側の感性」としては、私には部分的には理解できる。事実としてそれがパレスチナ側の別組織の攻撃によるもの、だったとしても、「生きていたところで、どこに希望があるんだ」と、そこまでの思いを持たせてしまったイスラエル側にも、責任の一端があると私は思う。
希望を奪われるということが、どういうことなのか、ユダヤ人は忘れてしまったんだろうな、という気がした。一回や二回じゃ不十分、ということなんだろうな、と改めて思う。

たぶん、200年もしないうちに、イスラエル「も」(パレスチナ、も)水没する。この話題は、すでに一度書いた。この「も」の範囲がどうなのか、微妙に理解が揺れているけれど。師匠じゃないので、私にはこれが限界。(いざその時が来るまで、微調整は続くんだろうな)一般の方が参加された時の公演内容なので、書いても支障がないとは理解しているけれど、すべては「人の心のあり方」が原因だ(原因になる)と、私は理解している。改めて、以上。

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