軍事支援

英首相、ウクライナ議会で演説 新たな軍事支援表明
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000253534.html

このニュースに対して、

https://twitter.com/ShinHori1/status/1522144608372752385?cxt=HBwWgoCs7Zyd358qAAAA&cn=ZmxleGlibGVfcmVjcw%3D%3D
自民改憲派「戦争等の緊急事態では国会を開いていられないから、改憲して、内閣が国会抜きで物事を決めるようにしろ!」
ウクライナ「戦争中ですが、議会をやっています」

(このURLリンクで、twitterアカウントのない方が、記事を開けなかったらごめんなさい。)こんなRetweetがあった。

状況はかなりはっきりしていて、ロシアが一方的にウクライナを「ボコって」いる。この状況で、ウクライナにとって一番欲しい「支援」は、体を張って間に割って入って、「一方的に殴りかかるのはやめろよ」と、殴り続けるロシアの両手を抑えることのできる誰か、だろうと思う。

ただなぁ、本気の殴り合いの喧嘩に割って入るのは、相当に場数をこなしていないと難しいというか・・・。とにかく喧嘩だから、ボクシングでもレスリングでも柔道でもない。喧嘩と格闘技は違うと思う。もちろん、格闘技経験のある人なら、素人よりも対応の仕方がわかるんだろうけれども、それでも、ロシアが吹っかけた「喧嘩」は、「なんでもアリ」だから、「凶器なんでもあり」なんて、格闘技でも前提にはないと思う。

結局、その気になれば、体を張って割って入ることができるはずのアメリカが、オバマさんやバイデンさんは「理念」として、トランプは(敬称なし、だなぁ・・・)アメリカの利益にならないからという理由で、「喧嘩」に割って入らない方向にアメリカを導いたと思う。実際、バイデンさんは二の足を踏んでいると思う。
いくつかの記事で、アメリカが「割って入るぞ」と言えば、プーチンも「やりたい放題」はできなくなるはずだ、というのがあったけれども。

個人的に、それが「戦争への介入」という手段であっても、人道的には許されると私は考える。放置したなら、残虐行為を重ねる野獣がそこにいる。
誰かがやらなきゃならない。できるのがアメリカしかいない、としたら、その上での判断をアメリカに仰ぐしかない。ただ、当然その「介入行為」によって、アメリカ人の、米兵の命が犠牲となる場合もあるだろうし、そうした犠牲が想定される以上、アメリカの判断は、アメリカ国民に委ねるしかない。ただ、アメリカには基本的に、私個人は「信頼」している。

じゃぁ、日本はどうなんだ、ということだろうと思う。

ウクライナが流したSNS(だったかな?)の「支援への感謝」の国名に、日本が含まれていなかった、という不平不満が日本にあったらしい。
当然でしょ!?日本は、憲法の制約で「軍事支援」はできない。「問題解決の手段としての戦争」を放棄し、「軍事力を持たない」と宣言している。
殴り合いの喧嘩に、割って入ることは、基本停には、できない。

表現は悪いけれども、この状況でも「体を張って、ロシアとウクライナの間に割って入る」どころか、ウクライナに「軍事物資」を支援することも、日本国憲法の「信念」として、できない。できない以上、「軍事行動」を容認している国々とは歩調を合わせることができず、当然、「殴り続けられているウクライナ」に対して、軍事支援が何もできないのだから、「軍事支援をしてくれた国々」への感謝から、漏れていたって、当然でしょうが、と私は思う。

戦争が終結して、ウクライナを復興しようという状況になったなら、おそらく、多くの国民の合意の下で(つまり、国会の承認を得て)、相当規模の復興支援は行えるだろうと思うけれども、この殴り合いには、割って入れないのが日本だと思う。

だから何だ、という結論は、書かない。国連の「平和維持活動」についても、自衛隊の派遣には両論がある。
極めて個人的に、「理念」と「現実」のせめぎ合い、だと思う。どちらを優先すべきは、状況次第だとも思う。しつこいようだけれども、極めて個人的な感覚として、日本の自衛隊にも、この状況下で、ロシアとウクライナの間に「体を張って、割って入って、ロシアの暴力を止めさせる」行動を起こして欲しい、「感じ」はあるけれども、言うまでもなく、憲法の制約でそれはできない。法の縛りでできないなら、やるべきではない。「内閣が国会抜きで物事を決める」など、言語道断だと思う。それは、決してウクライナを見殺しにするということではなく、「国民の合意に基づく法の縛りは、内閣だって尊重すべき」だと思うからで、国会を尊重しないなら、自民党もプーチンと同じ、野獣レベルになってしまうと思う。

我々日本人にとって、できることは、「戦後の復興支援」と、「避難民として生きざるを得ないウクライナの人たちへの、人道支援」だけだろうと思う。
それしかできないけれど、わかってください、と、主張すべきであって、「ウクライナからの感謝に、日本がなかった」って、ボヤくなよと思う。腹を括れってば。我々は「軍事支援」はできないと、それは、(現行の憲法を尊重する限りにおいて、あるいは、国民の総意として堅持するならば、)信念を持って、世界に主張すべきであって、「軍事支援できない日本が、感謝されなかった」なんてボヤくなんて、さもし過ぎる、という気がする。

何にせよ、この状況まで踏まえて、いかなる状況でも「国会」を機能させ、根本となる憲法についての議論も、(最後の最後は、多数決の少数派になったなら、ああ自分は少数派だったのだと、結果を受け容れることまで含めて、)日本国民としての自覚のある議論で、「日本は、どうあるべきなのか、あるいは、どうすべきだったのか」について、多くの人が主体的「自分の考えを発信する」そうした日本であって欲しい、とは思う。その結果、日本がこの状況で、「現自衛隊(憲法改正で新日本軍、としたいのか、それは国民の総意次第)を派遣して、ロシアとウクライナの間に、体を張って、割って入ってロシアを止めるようになれるべきだ」と考えるならば、それが多数派ならば、そうなって欲しい。

情けない、と思うのは、自分の考えと違う主張をする人に対して、本来の議論からかけ離れた誹謗中傷をする人が少なくなくて、そういう意味では、日本も相当に「民度」は低い国だな、という気がするけれども・・・。
考えて、考え抜いて、その考えを発信する方々におかれては、そういう知的下賎の民は、無視しましょうよ、と呼びかけたい。

私?はい。自己矛盾しています。安倍総理が「武器輸出三原則」を、「平時」において、国会の承認などを経ずに内閣の判断だけで決めた時には、猛烈な勢いで、安倍総理への反対の言葉を発し続けた。じゃぁ、今はいいの?と。今は「平時」じゃない「緊急事態」だ。

節操ないなぁ・・・。はい、わかってます。でも、「君子は豹変す」るんです。(←あたしゃ、君子じゃないけど・・・。慣用句ね。)

でも、議論は尽くして欲しい。多くの日本人に、「今、何ができるか、何をすべきか」まで含めて、考えてもらって、じゃぁ、「日本国憲法」の条文は、どうあるべきなのか、死守すべきなのか(今の状況では、ウクライナに、何もできなくてごめんなさい、とお詫びすべきなのか、)それとも、何かできるようにする(今ウクライナに自衛隊を派遣する)ためには、憲法改正の具体案の提示も含めて、「日本は、どうすべきなのか」を盛り込めるように、とにかく、コンセンサス(コンセンサス、とは、全員が同意すると言う意味ではなく、「同意できない人も、多数決だから、納得して従う」というニュアンスも含めた言葉、だと、私は理解しているけれども)を形成して欲しい、と思う。


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