誰のための政治なんだろう?

いわゆる「民主主義国家」で、この「誰のための政治なんだろう?」という問いを政治家に質問したら、ほぼ100%「国民のため」とか「住民の皆様のため」などという返事が返ってくるに違いない。形式的であっても、一応は「選挙制度」を掲げている国とか自治体とかなら、「私のため」とか「政党のため」などと答えたら、落選するんじゃないかという気がする。

「民主主義」の旗印として、一番目立つのはアメリカかなぁ、と思うんだが(プロパガンダに毒されてる?何とも言えないけれど・・・)かつてのパックス・アメリカーナの名残が世界に残っていることを前提に、仮に「アメリカ」を民主主義の一つのノード(node)として考えてみる。

「対立軸」が見えているようで、どうもはっきりしない。「民主主義国家」であっても、必ずしも「親米」や「反米」を鮮明にしていない国は多い、気がする。宗教国家などで、完全に「民主主義」的な政治制度になっていない国であっても、「親米」か「反米」かが鮮明でない国も多い。そうなると、やっぱりアメリカを「民主主義」のノードにすることには無理があるのかなぁ・・・いずれにせよ、「国家元首」を直接的あるいは間接的に(日本の場合には間接的に、だと思うが)国民の選挙によって選べる国を「民主主義国家」だと、この稿では定義して、「民主主義国家」か「それ以外」か、で考えてみる。

民主主義国家でない国でこの「誰のための政治なのか」という質問をしたら、どんな返事が返ってくるんだろうか?
表向き「国民のため」と答えるか、あるいは「国家のため」と答えるか、そこが私には想像しきれない。けれど、やはり「国民のため」という答えの方が多いんじゃないか?という気がする。おそらく、中国や北朝鮮ですら、明示的にこの質問を投げられたら「国民のため」と答えるような気がする。

私の考えでは、安倍元総理は「国家のため」に政治は行っていたけれど、「国民のため」は口先だけだったと思う。海外で安倍元総理を悼む声が多いようだ。私自身は、安倍元総理の「外交姿勢」については全く異論はない。国際社会の中で、日本国がどうあるべきか、という点では、安倍元総理を非難するつもりはない。その意味で、岸田総理大臣が言及した「海外から弔問を受け付ける」ための、いわゆる「弔問外交」の舞台として、安倍元総理の国葬を設定したという説明には、一応の納得ができる。美濃部元都知事の「天皇機関説」ではないけれども、安倍元総理の「国葬」を、日本外交の一つの「機会」として設定するという、岸田元外務大臣の判断は、十分に理解できる。ただ、日本国民としては、内政的にはやはり釈然としない。ただ、この話題はこのページの本題ではないけれども。
基本的に自民党は、「一般国民」のための政治は行っていない、と思う。「国家のため」と「国民のため」は、必ずしも同一ではない、と思う。

「民主主義」ではない国で、「国民のため」に政治を行っている、にもかかわらず、国民の自由な発言とか、国家元首を選ぶプロセスに国民を関与させない、という発想は、どこから来るんだろうか?と考えた。
まず第一に、一つの国家の中に、多数の部族や宗教・宗派などが入り組んでいて、宗教・宗派の指導部などが「国民を指導する」という歴史的な流れを踏襲していたり、部族間の利害対立が大きすぎて、協議とか議論とかでは解決できない状況になってしまった結果として、「誰か」に絶大なる権力を持たせて、国家運営を一任する、という形態しか取れないケース、というのが、おそらくはあるんだろうかと思う。ミャンマーのクーデターの背景に、部族間の闘争などがあったのかどうなのかについては、私にはわからない。調べてもいない。
この場合には、確かにやむを得ないんだろうか、という一定の理解はできる気がする。

もう一つのケース。青年海外協力隊OBとして30年前の知識で書くなら、国によっては国民に「民主主義的に国家元首を選べ」と判断を迫っても、教育水準が低くて、「どうしたら、自分たちの生活が豊かになるのか」の具体的な判断ができない、そうしたケースもあると理解している。私の任国がそうだったとは言わない。またある程度、仲間から聞いた話などから国名を列挙しようとしたならできないこともないけれど、名前を出された国の名誉にかかわるので、国名は書かないけれども、少なくない国で「民主主義」を理想に掲げながらも、ある意味で専制的な政治でないと機能しきれないケースもあったんだろうか、という気がする。30年前の知識である。

と、考えてみて、ふと思ったのは、中国の場合には、まさしく国家指導部が、この「国民が愚かだから、国家などというマクロな部分を扱う指導者を選べるはずがない」という発想に基づいて、共産党による独裁的な政治制度を敷いているのではないか、ということだった。いわゆる「衆愚」を前提とした「独裁」だと思う。国民(愚者)に意見を言わせたら、うまくいくはずがない、という大前提。思うに、何世紀か前だったなら「衆愚を前提とした独裁」は有効に機能していたのかも知れない。だから歴史的な経緯ということで考えたなら全否定はしない、けれども、現代においてはどうなんだろうかと思えてしまう。

アメリカで、民主主義が「衆愚政治」に(英語の語感が理解しきれていないけれども、mobocracy by the ignorant crowd, みたいな感じなんだろうか。中国は漢字文化圏なので、(というか、日本語の「漢字」は完全に中国がルーツだけれども・・・)「衆愚」の「愚」の意味は、中国語に共通しているだろうと理解している。とりあえず、外国語に翻訳されても元の意味が正確に伝わる、と仮定して・・・)陥った実例を、数年前にニュースで見聞きしてしまった。

都合の悪いものは、何でも「フェイク」だと片付ける大統領が選任された。「地球温暖化」というか「炭酸ガスの増加がもたらす平衡点のシフトによる一連の異常気象」なんていう説明をしても、「フェイク」だと断定して、はばからなかった。彼の支持者は、何でも「陰謀だ」と片付ける人たちが多くて、おそらく「カリフォルニアで大規模な山火事が発生した」とか「ケンタッキーで大洪水が発生した」なんてニュース映像を流しても、「あれは、映画撮影のテクニックを使ったフェイクだ」と主張したり、被害者がニュースで悲惨な状況を話していても「あれは、役者が被災者を演じているんだ」とか、強弁するんだろうな、という気がする。(個人的な感想です。)
似たようなことを、ロシアの国営放送が流していた。ミサイル攻撃や、人道無視の野蛮な行為による被害者を、「役者だ」と断じていた。

50年一度とか100年に一度なんていうのが、毎年起きたら、それはもう50年に一度じゃないでしょ、と思う。中国のどこかの都市で「20年に一度の砂嵐」なんてのがあったらしい、けれども、「今年もまた30年に一度のXXが起きました」って、ニュース原稿を書く人、何も考えていないんだろうか?(とりあえず、今年は日本のテレビでは見かけてない、けれど。)

産業界が反対するから、「異常気象」は「フェイク」の方が都合がいい?でしょうね。そういう企業の幹部に、10代、20代、30代の人は一人もいないと思う。もうあと10年もゴルフが楽しめれば、それで十分、みたいな、棺桶に片足を突っ込んでいる、というか、もしかしたら両足を突っ込んでいるジジイ・ババアが未来を決めようとしているのに、それを支持する若い人たちが少なくない。思考回路がよくわからない。

Youtuberなんかで、カリフォルニアとかケンタッキーに行って、被害者に「あなたは役者ですよね」なんていうインタビューをする奴、出てこないもんだろうか。殴られて来い、と思う。そういうインタビューをして、殴られて大怪我した映像をYoutubeに流したなら、「いいね」をつけてあげてもいいかも。正直言って、衆愚としか言いようがない気がする。

中国国営放送が、対台湾の模擬戦争でのミサイルの発射映像だとか、まるで"Top Gun"の一シーンみたいな映像とかを流していた、みたいだ。日本のテレビで見たけれども。あれもなぁ・・・台湾の人たちは、高砂族よりも漢民族の方が多い、と私は理解しているけれども、同族を殺すのが「国民のための政治」なんだろうか。不思議でならない。

まるで、アメリカの男の子がG.I.ジョーのフィギュアとか戦闘機のプラモデルなんかで遊んでいる感じ、というか、日本でもガンダムだとかエバンゲリオンだとか、戦闘を扱うアニメなんかも結構あるし、私が子供の頃はチャンバラごっこなんていう「殺し合い」を模した遊びもあったりしたけれども、「いい年をした大人」の場合には、ミサイルが落ちた先には人がいて、生活している人間が殺される、(特に、中国から台湾の場合には、同じ民族が殺される、)とか、戦闘機が一機数十億円から数百億円するのに、そういうのが、どんどんと撃墜しあって、そんな金があるなら、一体何人の貧乏人がうまいもんを食えるんだろうか、とか、そういう発想になったりしないんかな、なんて、つい思ってしまう。
それがさ、小学生じゃなくて大人が、しかも、「国営放送」が流している訳だから、単に「衆愚」なだけじゃなくて、国家指導部もXX(中国の名誉のために伏せ字)なんじゃないか、と、思えてならない。

もしかして、「政治」っていう奴は、「愚かさ」をどう排除するか、というのが最大の課題なんだろうか?「愚かさ」が問題なのは、民主主義だけではなく、独裁政治でも同様だと、思えてしまっている。

標題の件。せめて、もしも「誰のための政治なんだろうか?」という問いに対する答えが「国民のため」であるならば、(どこの国とは言わないけれど、「誰が国民のための政治なんかするか、我が党が独裁して党員が潤うためだ」、とか、「いうまでもなく、我が一族が君臨するためである」とか、そうした本音を曝け出してくれたなら、むしろスッキリする気がするし、そういう国は最初から議論から除外するけれど、)何をどうしたら、多くの国民が潤うか、なんてことを、是非、考えて欲しい気がする。

話題に、まとまりがつかなくなった。
寝る。

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