しがらみに縛られる。

世の中のスピード感がこれだけ高まっている時に、なかなか変化が出来ない状況は実にストレスになる。先日もとある団体の幹事とそんな話をしてきた。代表が誰で、どうのこうので、という話がよく出てくる。

いやなら辞めてもらえれば良いし、辞めてもらえないなら自分が辞めれば良い。この2択しかないと思うのだが、「しがらみ」という言葉を使うことによって、2つの選択肢以外の3つ目の選択肢が生まれる。

3つ目の選択肢は「そのままにしておく」というもの。

辞めてもらうにも言いようがない、言えないですよね?と言われるのだが、言えないのではなく言わない、ということでしかない。気づいてもらいたい、身を引いてもらいたい、みたいなことを願っても、それが出来ない人だから留まっているだけだし、そんな相手側に選択権がある状態なんて、ストレス以外何者でもない。

言わないのは、言いにくいに始まり、失礼にあたるからとか、色々と出てくるが、どんな理由であれ、言わないを選択しているに過ぎない。つまり、しがらみなんてもはないのだ。自分の選択を他者の責任転嫁するための口実に使われるのが「しがらみ」なのだ。しがらみは自分の中にある。自分に自分を縛り付けているための言葉でしかない。自分に卍固め。じまんじだな。そんなことも含めて、しがらみなんてただの言葉でしかない。

大切なものは何か、それを守るために必要なものは何か、つまりは、必要のないものは何か、そこから逃げない方が良い。突き詰めた方が良い。突き詰めて、突き詰めて、それ以外はどうでも良いものと思えるくらい突き詰めた方が良い。しがらみなんてものはないし、ストレスもなくなる。ただし、トレードオフの関係にあるものは選択の責任となる。

それがどんどん大きくなる。選択への責任が大きくなれば、自卍系ストレスはどんどん小さくなる。どんどん捨ててしまった方がいい。

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