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古民家に住んでいる話 4

先日、天気が良かったので方々の窓を開けていた。風呂場には蛞蝓、居間には蚊蜻蛉が出た。夜に部屋で作業していると、障子を繰り返し軽く叩くような音がする。虫かと思いそっと開けてみるとやはり光に寄せられた蛾が障子に体当たりし続けていた。殺虫剤を適当に散布したら逃げていった。部屋の中では蚊取り線香を焚いていたが、縁側には無縁か。縁側なのに縁が無いとは此れ如何に。


さて、上記とは無関係だが今日は置物・飾りの話をしよう。「古民家に住んでいる話」というよりは俺個人の日記に近い。

これまでネットで何か買うというとAmazonが殆どだったが、古いものを安く買おうとするとこれは向かない。ヤフオクと、民度が低い印象しか無かった為敬遠していたメルカリで、俺の部屋に置く物を買い漁り始めた。物によっては町中の小さいリサイクルショップ並に安く手に入る。

リサイクルショップというとハードオフやセカンドストリートといったチェーン店を思い浮かべる事が多かろうが、そういった一般企業とは異なる市町村の管轄下の店というのもある。先日通りがかった千葉の北習志野駅すぐ近くでリサイクルショップぱせりという店を見つけ入ってみたところ、明らかにそれと見てとれる知的障害者がやけに多く、調べるとやはり船橋市の障害者支援の一環であるらしい。小さい店だが俺が求める置物も幾らかあり、計2250円でこれだけ買えたのは大変喜ばしかった。

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小さい琴は音が鳴るが鑑賞用だろう。どの道琴の奏法の嗜みなどないので他と合わせて床の間行きである。一応学校で琴を習った経験はあるが、あれは実に教養らしく好ましいカリキュラムだった。

以前住んでいた寮の近くにも同様の店があったが、引っ越す前だった為こけしを一本買うだけで終えた。家具の類も極めて安かった為、この地区の近くにあれば是非行きたいところである。

前記事で述べた黒猫堂、こちらは骨董品の数は非常に多く、値段についてはピンキリだが安い掘り出し物もある。下は先日行った時の結果。計5000円程度だったろうか。

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町のリサイクルショップとは別の、個人経営の小さい骨董品屋もしばしば掘り出し物があるようだ。近所にあったものの店内をちらと覗く限り壷が多そうだった為今まで行かなかった店に先日寄ってみたところ、一尺ばかりの天狗面を1500円で買えた。柱に掛けてみたが、存在感が凄い。

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・・・その後30分は食われたろうかという程の店主の長話に付き合わされたのはその代償と考える事にしよう。後半になるにつれ愚昧な老人の胡散臭い政治の話になっていったが、序盤には有益な話もあった。

例えば、ある画家が活動し始めて10年で死んだとしよう。死後評価されると、作品数が少ない為ある程度値打ちが上がるものの、基本的には驚異的な額にはなりにくい。理由は、価値があり且つ少ない事を皆理解して入手する為誰も捨てないからであるという。逆に昔東北の一般家庭で使われていた食器などは、皆が高度経済成長期に大量生産の市販品に買い替え片っ端から捨ててしまった為、一般庶民の使用品であったにも拘わらず今では値が数百万に上ったりするらしい。———他にも、飾り物を入れる木の容器が元は蒸篭であったりするような再利用の例や、床の間での花瓶の飾り方、個人経営の骨董品屋での買い物の仕方といった少なくとも俺には大変有益な話は少なくなかった。


話を戻すと、利用者にとっては今更過ぎる事だがメルカリは極めて安く買える時がある。最も驚いたのは、京月の童人形がガラスケースに入ったまま1000円で買えた事である。ケースはやや破損があったが人形自体の状態は良い。後に気付いた事だが、ガラスケース入りの新しい人形はどうも売れない為クオリティに関わらず中古ではかなり安くなるらしい。新しい物は骨董品としては売れないし、保管するにもやたらと場所を食うので値がつかないようだ。新品なら30000円する代物で、俺が現段階で所有する人形の中では最高級にして最安値となった。因みに出品者のコメントは以下の通り。

「10年前に新品を購入していただきましたが日本人形が苦手なため一回しか出していません。
一度しか出していませんが正面の扉が取れる状態になっています。
次は可愛がっていただける方に購入していただけると嬉しいです。
値引きいたします。」

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可愛がってやろうじゃないか、と早速歯ブラシで髪を梳いてみた。人形はどれも髪を梳くと心なしか嬉しそうな雰囲気になる気がする。気のせいだろうが、まあそういうのもたまには悪くない。

こちらもメルカリ。2体で2200円だったか。

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立ち人形は大抵下半身が小さい為腕が長くなるものだが、この一対程腕が長いものは中々見ない。ただこの2体が正確には何と分類されるのかわからず、知識の不足を感じるばかりである。


高円寺の丸優美術も中々良い骨董品屋である。この家からは随分遠いが、今日ここでは能人形、狐面、行燈を買ってきた。計5000円だった。

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床の間も賑やかになってきた。ガラスケースはかなり場所を食うので、能人形の方は出して中身だけ置く事にしてもいいかもしれない。このままでは見栄えが悪い。

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かなりの勢いで物が増えている。床の間に収まりきらなくなってきたらば、或いはガラスケースの上にも置いてしまってもいいだろうか。


今は俺の部屋の置物・飾りに飢えているが、自室以外の空間に飾りたい物もある。最たる例が狸の信楽焼である。旅館や蕎麦屋等で玄関の横に置いてあるのをよく見るが、江戸時代には陶器製の狸の茶道具が存在していたものの、現在のややとぼけたようなツラの置物が最初に作られたのは明治30年であるらしい。それが昭和26年に昭和天皇が見かけ詩を詠んだ事で広められたというので、存外歴史が古いわけではないようだ。因みに市松人形もこけしも江戸中期。

狸の神楽焼は、是非デカいのを玄関に置きたい。が、メートル級は新品で買うと数十万円になる為とてもじゃないが買えない。その金があったら俺は日本刀を買う。というわけで中古のものを探しているが、こればかりは安く入手する事は困難かもしれない。大人しく膝の高さ程度のやつを買ってくるべきか。なるべくデカい信楽焼を何処かで安く買えないものだろうか。


最近買い物が楽しくて仕方がない。これまでは慢性的な金欠の為確実に欲しい物にだけ金を費やしていた。服なぞは買わず、靴はいつもボロボロである。床屋には数年前に行ったのが最後で、以降ずっと自分で髪を切っている。そういった如何にもオタクらしい狂った金銭感覚が続いていたが、最近は余裕が出てきた為、不要不急の買い物に金を使えるようになった。特定の目標の為に金・時間・手間・人目全てを度外視した機械的な行動をする上では買い物は手段に過ぎないが、今は目的になりつつあるような感覚を覚える。趣味の為に金を使ってる事には変わりないのだが、「特定の目標」が以前は特定の個体であったのに対し今では方向性さえあっていれば不特定な多数となった為であろう。それらしいものを安く入手できた時の喜び、というのはこれまであまり無かった。己の中での意味合いが、機械的行動の頃からは少し変異したように思う。

・・・そうは言っても対象が変わっただけで、俺が趣味という最優先事項の為に生きている事は何も変わりない。そして、やはりそれ以外には見向きもしないのだろう。

然らば。

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