香港でインターナショナルスクールへ 1992年 春 12歳

僕が香港にやってきたのは、小学校卒業のタイミングでした。
中国返還前の香港で、まだイギリスの植民地だった時代です。

香港には日本人学校という、日本と変わらない学校がありました。
ただ、僕は姉がインターナショナルスクールに在学していたことや、何となくそっちの方が良いのかなと安易に考え、姉と同じイギリス系のインターナショナルスクールに通うことにしました。

新しい学校生活は、それまで日本でぬくぬくと育ってきた僕にはカルチャーショックの連続でした。
初めて通学した日のことは、今でも何となく覚えています。

僕の中で学校という存在は、広い敷地の中にある独立した大きな建物という認識でしたが、姉に連れていかれた学校はビルとビルの間に挟まれた小さなビルでした。

うろ覚えですが、ビルの三階から六階が教室という感じだった気がします。テナントに入っている、塾や予備校のような雰囲気で、グラウンドや体育館なども無かったです。

職員室で紹介された担任教師は体格ががっしりとしたインド人女性でした。
インドの民族衣装のサリーを纏っていたのが印象的で、よく覚えています。

先生のおでこにキラキラと光った石がついていて(ビンディでしょうか)、今考えれば失礼なことですが、話しかけられている間もじーっと見入ってしまった記憶があります。
 

学校の廊下の壁はグラフィティのような落書きや、カラフルでエキゾチックな象の壁画などで埋め尽くされていて、圧倒されました。
先生に連れられて教室に入ると、無知で幼すぎる僕にとってはさらに驚きの光景が広がっていました。

まず、クラスメイトの発育があまりに多様でした。
12歳から16歳までが同じクラスにいたので、身長・体重が全然違います。
人種も多様で、香港人はほとんどいなくて、インド人、フィリピン人、パキスタン人、韓国人などがいました。
ファッションや雰囲気もバラバラ、立派なターバンを巻いている屈強な男子生徒もいれば、見るからに年上で大人びた女子生徒もいました。

一番強烈に覚えているのは、朝から自分の机でカレーを早弁していたインド人生徒と目が合ったことです。
カレーのスパイシーな香りがほんのりと教室に漂っていたのを覚えている・・・気がします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?