はじめに

40歳を機に「自分の人生を遺すこと」を目的に、プライベートな文章をnoteにアップしていくことにしました。

動機は、自分自身の年齢が徐々に父が亡くなった年齢(46歳)に近くなり、そろそろ遺すことを考えていかないといけないなと思ったことです。
いつ何が起きるかわからないのが人生ですから、自分に何かあったときに子供達にメッセージを遺しておければと考えていました。
最初の子は自分が2歳の時に別れてしまって、そのあとはお互いの人生を知らないですし、いま同居している子はまだ幼く、十分に伝えきれてはいません。

父が他界したのは僕が高校生のときでした。
生前に自分の歩んできた人生や考えを僕によく話してくれて、僕の価値観や美意識に大きな影響を与えてくれました。


幼少期は仕事の都合で父とは離れて生活していたので、一緒に過ごした時間はほとんどありませんでした。
もともとは東京でみんな一緒に暮らしていたのですが、兄が小学生の時に祖父母のいる北海道に喘息の療養を兼ねて一人移り住むことになりました。

1-2年後には小学生になるタイミングで僕と母が兄と合流し、さらに1年後あたりに東京の祖父母と暮らしていた姉も北海道に移住してきました。


小学校1-2年生は小樽の祖父母の家に住んでいましたが、小学3年生から家族で札幌のマイホームに引っ越しました。
父は東京で単身赴任を続けており、お盆と年末年始などに北海道に来るという生活でした。


僕が小学4年生くらいの頃でしょうか、今度は父が仕事で香港に一人で移住をし、1-2年後には姉が中学卒業のタイミングで香港に行きました。

僕は小学校卒業のタイミングで母と一緒に香港に行き、その数年後には1人日本に残っていた兄も香港にやってきました。

こうして家族は香港で全員集合しました。
香港に行ってからは、父との時間は一気に濃密なものとなります。


父は事務所や仕事相手の接待、取引先の工場などに連れて行ってくれました。中国、マカオ、フィリピンなどにもよく一緒に行きました。

僕は英語の学校に飛び込んだので最初は学校の友達が全くいなくて、父に友達の代わりを努めてもらっていたような感覚があります。


父は離れていた時間を取り戻すかのように、それまで知らなかった様々な話を僕にしてくれました。
父の恥ずかしい話や仕事で辛かった話、人に裏切られた話、性や恋愛の話、ケンカの話、哲学や政治の話、家族の話など、くだらない話から「それ話して大丈夫?」という刺激的な話までいろいろありました。

父は僕のことを子ども扱いせずに、一人の人間として話してくれていたので、それが僕にとってはとても居心地がよかったことを覚えています。

という感じで書いていきます。

こどもが大きくなった時に、ここに書いてある文章を読んで何かを感じてもらえれば嬉しいですね。

その為にはnoteさんには存続してもらわないとだなぁ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?